どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

マイカー「カムバック」して生活「リ・スタ-ト」/ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(7)

-No.2701-
★2021年02月12日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3627日
★延期…オリンピック東京まで → 162日
★旧暦1月1日(月齢0.3)、元日・新月
※次回は、2月16日(火)の予定です※





◆〝相棒(車)〟と行くショート・トリップ

 ぼくの〝相棒〟である車が、「逆突事故」に遭い傷ついた。
 昨年暮れの12月29日、昼すこし前のことだった。

 「逆突」という呼称は、保険会社の「物損事故 示談内容確認書」により知れたもので。わかりやすく言えば、この先「行き止まり」路地入口でバック態勢で待ち受け停車しているボクの車に、まちがい進入に気づいてバックしてきた他車が誤って追突。ぼくの車の、左(助手席側)後ドアと前ドアの一部に擦過傷を負わせた。
 相手側全責任の損害賠償事故。吾がミスではなかったものの、ぼく暗然。

 〝相棒〟は傷ついたまま年を越し、新年早々の6日。
 保守を任せているディーラーに引きとられていった。たまたま、前から「車検」を予定していたときに、板金修理の手間が加わったことになる。

 傷癒え、「車検」(健康診査)もすませた〝相棒〟が、きれいになって帰ってきたのは翌々週、月曜18日。
 後日、送られてきた確認書による示談内容は修理費37万円余、代車料6万円余。
 ちなみに、この間、これといった所用もなく済んだボクは、代車を一度も使わなかったが。代車は、賃無料とはいえ燃費(ガソリン代)は自前であり、なにもイイことはない約2週間であった。

 ともあれ、これで年越しの「お騒がせ」ごとは、一件落着。
  ……………

 この「新コロ」禍つづきを機に、ぼくは一念すっくと起った。
 ひたすら忍耐も、身体にワルい、健康にサワる。
 畢竟〔ひっきょう〕、「吾が道を行くほかない」のであれば、できるかぎり他人さまには迷惑のかからないように、気をつけたうえで「怯〔ひる〕まずに進もう」。

 それには究極、「吾から転がす〝相棒(車)〟と一緒、他人さまとの交渉すくないショート・トリップ」で行こう、ほかにない。
 その初動日を、21日ときめた。
  ……………

 その日は、アメリカの新大統領、就任式。
 日本時間ではその日の未明、というより前夜の深更から始まった〝観衆なし〟のセレモニーを、ぼくはジッと見守った。

 前任トランプの我儘放題のツケ重く、自由主義圏の盟主の座さえ危うくされた、バイデン新大統領にとっては多難な船出となったわけで。それだけに、少しでも前途の不安を払拭してくれるものがあるか…見とどけておきたかったからだ。

 結果。(まさかマンがイチにも…と怖れられたQアノン一派がらみ)不測の事態は幸いにしてなくてすみ、ハリス新副大統領の笑顔にもくもりなく。なによりバイデン新大統領の、「南北戦争以来の民主主義の危機」を乗り越えて進む、とする決意に手ごたえを感じて…まずは、よし。

 ぼくがベッドにもぐりこんだのが、午前2時半ころ。
 翌朝7時すぎには、気もちよく目覚め。空も気もちよく晴れた。
  ……………

 その日は、かみさんの定期検診。
 診察をすませ、北里大学病院(相模原)を後にしたのが、11時すぎ。
 国道15号から横浜新道経由、国道1号で藤沢を目指す。
 〝不急〟かも知れないが〝不要〟ではない、墓参りにいく。
 献花や供物、朝昼兼用の軽食や飲み物は、コンビニで買ってあった。
 天空は穏やかに晴れていた。
 
 道すじは、名うての渋滞区間。「緊急事態宣言」下でもさほど車の通行量は減っていないか…に思えた、けれども。(滞りなく流れている)のは、やっぱり、ふだんとチガウ。いつもこれくらいの混み(空き)ぐあいだったら、運転に「ストレスもかからないのにナ…」ボソリ呟く。


 母の実家は東海道「藤沢」の宿はずれ、墓地は戸塚から遊行寺へと下る坂の近く。東へ越える尾根の向こうは、すぐ鎌倉。
 このあたり、ぼくが子どもの頃は川沿いの隠れ里ふうだったところが、いまはカーナビも迷うくらい、細かい道の入り組む住宅街に変貌している。

 母方の実家の墓は、祖父母が建て。そこには若くして亡くなった母の姉、祖父母・母の弟夫婦、くわえていまは、ぼくの従弟夫婦があらたに眠る。
 墓誌には、従弟が令和元年12月下旬没、妻が令和2年中旬没とある。
 中国・武漢から新型コロナ・ウイルス感染症が報告されたのが、従弟が亡くなって間もない年明けであり、連れ合いの葬儀は感染のさなか……

 慌ただしい葬送であり、落ち着かない送り人であった。
 しかも「新コロ」禍の先ゆき、おぼつかない、いまできることはあらためての墓参、これしかなかった。
  ……………

 跡継ぎの家を訪ねるのは控え、〝相棒〟のアシを海へ向かわせる。
 途中、鵠沼〔くげぬま〕には、かつて父の親族が宅をかまえ、いまは大学の頃の学友が住む…が、いまは交流のときにあらず。
 間もなく道は狭く、江ノ電の線路敷きになって、江の島の湘南海岸にとびだす。

 海は穏やかに、車からは汀の波ひとつ見えない。
 海水浴などの遊客は、その多くが、こんな静かな海しか知らないであろう。ずいぶん馴れ親しんだつもりのボクなんかでも、波荒れた海景の記憶はほとんどない。

 友の母校「鎌倉高校前」駅の辺りに、江ノ電撮影の男女が戯れており。由比ガ浜材木座の海は、漣きらきらスパンコール。
 鎌倉入口の滑川〔なめりかわ〕で、やや渋滞。若宮大路の向こう、鶴岡八幡宮がやがて「駆け込み詣」で混みあうのは、半月後31日(日)のことになる。

 ぼくは、ひさしぶりに小坪(逗子)の漁港で鮮魚を買うつもりだった、のだけれど。海沿いの道を往き来する車、少なからず。しかし、やっぱりここでも、ふだんのようには渋滞することもなく、自然に流れて行く。

 おかしなものでドライバー心理というやつ、車の流れが滞らないかぎりは〝相棒〟に身をまかせていたい気分がつよかったし。港の狭い駐車場は(いっぱいかも知れない)気もして…そのまま通りすごす。

 湘南海岸のにぎわいも、葉山をすぎると一段落して、〝相棒〟も快走モード。
 ぼくはスピード控えめ、〈高齢ドライバー〉モードをこころがける。

 しみじみ「ゆきつけ」は、なにかとありがたい。
 結局、いつもの三浦半島ドライブ・ツアー、コースどおり。
 横須賀の農協直営、大型農産物直売所「すかなごっそ」と三浦の「三崎生鮮ジャンボ市場」とで海山の幸をたっぷり買いこんで帰宅。

 この日、帰路の横横道路もふくめて、丸一日。
 車の通行量は少なからず、しかし、多すぎもせず。なんども思ったのは(いつもこれくらいならチョウドイイのに…)、そればっかり。
 人との交渉場面、わずかな店員にかぎられ。会話も、必要最小限。おまけに車には、マスク・除菌スプレー・除菌シートの予備おこたりなく。
 あらためて、いま現在の「新コロ」感染禍、これがいちばん〈安全な外出法〉であることを確認した。