どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

大都市東京の〝滅びの美〟と〝再生への足がかり〟を観る…国立新美術館「MANGA都市TOKYO」展

-No.2649-
★2020年12月22日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3575日
★延期…オリンピック東京まで → 214日
★旧暦11月08日(月齢7.4)






◆乃木坂…国立新美術館

 ひさしぶりの「新美」。
 ぼくは、この美術館のアーティスティックなガラス窓の在り方がスキだ。
 そうして、最寄りの駅はほとんど〈接続〉といっていい「乃木坂」駅(地下鉄・千代田線)なのだけれど。ぼくが好むのは、いま現在の雑駁きわまりない世相そのまま、六本木の街をしばらく歩いての訪れ。その方が余韻があって、気分をきりかえて集中しやすい。

 ぼくが美術館を訪れるのは、もっぱらタイミング次第で。
 こころ惹かれる企画というか、どっぷり浸りたい展覧にドンピシャで出逢ってしまったときのシアワセな「ありがと!」感といったらない。
 それは、前にも話したとおり。

 こんどの企画も、新聞の文化欄に載った紹介記事に、添えられてあった1枚の写真が、つよい磁力でひきつけてきた。
 タイトルの「MANGA都市TOKYO」展…だけだったら、たぶん、ぼくは観に行っていない。
 
 …では、なぜ、惹きつけられたのか。
 この企画展には、1000分の1スケール、都心部から湾岸部にかけての東京の都市模型が、その〝舞台〟装置を明らかにする目的で展示されている…と知れたからである。

 「MANGA都市TOKYO」展の企画趣旨は、日本の〈マンガ・アニメ・ゲーム・特撮〉の〝舞台〟となったメガ都市としての東京と、コミック・メディアとの関係性とを見つめなおそう…というもの。
 壁面には『新世紀エヴァンゲリオン』や『帝都物語』、『あしたのジョー』『佐武と市捕物控』『はいからさんが通る』『リバーズ・エッジ』ほか、時代ごとの代表作90タイトル500点以上の原画を展示。
 奥のスクリーンには特撮『ゴジラ』やアニメ『AKIRA』ほかの映像が次々に映し出される。
 その中心床に、17×22㍍の巨大都市模型が〝舞台〟を一望して魅せる仕掛け…。

 これ、じつは、18年にパリで開催され大人気を博した展覧会の凱旋企画と知って、ナルホドと思った。日本発のサブ・カルチャーはいまや、メインカルチャーなんかより、だんぜん刺激的である。それは、じつによくワカル。

 ぼくも、〈活字離れマンガ世代〉のハシリに生まれているのだけれど、漫画本は買ってもらえず、ぼくも活字を読むのがスキになったので、ついにアニメほどにはマンガに親しまず(愛読したのは長じて後の「ビッグ・コミック」くらい)にきた。
 したがって、いまでも絵解き記事など読み解くのは苦手。

 だからボクは、この展覧会では、そのほとんどの時間をメイン・スペースの「MANGA都市TOKYO」〝舞台〟模型の眺めに集中してすごした。
 ただ、集中は長つづきしないから、ときどきに原画の展示や映像展示に目をやることもあったが、それもほんの息抜きの程度。少しも記憶にはのこっていない。
 じぶんでも〈展覧会の客〉としては〝異質〟かに思えて…しかし…観覧客の方を注意してみたらアンガイ、ぼくみたいな者が多いことが知れてホッとした。
 どんな観方をしても自由なのが展覧会なのだから…。

 ぼくが、メトロポリス東京に抱く興味の主体は〝滅びの美〟にある。
 しかもそれは、かならずしもマイナーなイメージではない。〝滅び〟の先には〝再生〟の芽吹きを予感させるものが胚胎されているから、その胎動も感じられる。
 ただ、〝滅び〟を予感される大都市には〝危うい脆さ〟が必然。〝滅びの美〟に〝危うい脆さ〟は付き物といっていい。

 花魁〔おいらん〕に代表される江戸、元禄の頃を〝滅び〟の華〈爛熟期〉とすれば、いまの東京は〈腐爛期〉に違いなく、それは同時に再生への〈孵卵期〉ともいえる。

 アメリカのニューヨーク、フランスのパリ、イギリスのロンドンも、みな同じ。外見(うわべ)はタワー・ビル群や華美なファッションで飾られていても、裸にして見れば低平な氾濫原の〈やせっぽ地〉、かつてのヒトにとっては〈とどまることキ(危険)〉の場所だった。

 ぼくは、そんな〝滅びの美〟を、この大東京から探し出しておきたいと願う者。それには飾りを剝ぎとり、このメガ都市を裸にして捉える必要がある。

 そのための重要な手だてが「俯瞰」あるいは「鳥瞰」で、これによって些細な細事が捨象され裸の本質が透けてくる。
 だからボクは、高みの見物を好む。




 この展覧会場にも、同じ視点が見られた……
 「MANGA都市TOKYO」展、メイン舞台の巨大都市模型であった。
 彩色を省いた白い街からは、細かい凹凸が捨象されて、スカイツリーと東京タワーの突出と、あとは新宿副都心と丸ノ内界隈ほかいくつかの高層ビル群を除くと、そこに広がっているのは、東北弁で言うただひたすらに「ぺったらこい(平たい)」世界。

 ぼくは、さきの大戦でアメリカ軍によって広島・長崎に投下された「原爆」、その狙いが当初は(いうまでもない)東京にあったことを思い出していた。
 (原爆の効果のほどを検証するのに、これほど格好な標的はなかったろう…)
 慄然と…そうナットクできる。 
 そうして結局は、その予想される、余りにも大きすぎる惨禍が、ついにはアメリカ軍の実行を思いとどまらせたことも…。

 東京は、そういう大都市であった。
 …ということは、「洪水」にも見舞われやすい土地、ということになる。
 「水の流れ」に意志があったら、水浸しにしたい魅惑の低平地、格好の標的にチガイない。

 ぼくは、あらためて平野(氾濫原)に開けた都市の真実を確かめた気がした。
 そうして、そこに見いだされるはずの〝滅びの美〟の糸口も、水路=澪すじに見いだされるはずだということも。
 したがって、再生への「足がかり」もまた、水路=澪すじにをおいてほかにない。
 
 このことを確かめられただけでも、この企画展の観覧料は安いものだった。