どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

渋谷の「ミヤシタ パーク」って…!? / そうとも…もとはあの「宮下公園」

-No.2579-
★2020年10月13日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3505日
★延期…オリンピック東京まで → 284日
★旧暦8月26日(月齢24.7)






◆再開発で「ブヤ」はどうなる…

 このところ、ぼくは渋谷づいている。
 再開発の進むなか、いちど迷い込んだら、そのたびに方向感覚の再チェックをしなければならない、ヤヤコシさにフと眉を顰〔しかめ〕めキョトキョトしながら、大都会ならではの危なっかしさ秘めた迷路のドキドキ感もたっぷりだ。

 さきに(5日記事)、地上230mの渋谷スカイ「展望装置」を名乗る空間上に浮きたったとき。ふだんの高所恐怖症も忘れて覗きこんだ下界、新宿方向の直下に、山手線の線路に沿ってつづくグリーン・ベルトに魅入られた。
 宮下公園! 不思議な懐かしさ(しかし…そこに以前の猥雑感はもはや皆無)に心惹かれた。

 渋谷駅の東側、表参道の界隈からは、青山通を宮益坂へと下る。
 反対の西側からは、道玄坂が下ってくる。
 もじどおり「渋谷」は、シブい「谷」地形のなか。

 そんな渋谷駅への東側からの近道、宮益坂の下に宮下公園はあって。そこはかつて、雑多な衆人が集うことで知られた〈解放された空間〉。
 つまり、きれいでオシャレな街づくりを目指す役所から見れば、なにより嫌がられるホームレスの溜まり場でもあった。
  ……………

 後日、あらためて宮下公園の辺りを散歩に出かけた。

 想えば……
 東海道すじ京浜工業地帯の川崎に育ったボクにとって、子どもの頃の渋谷は、国鉄の古めかしくも貧しげな南武線武蔵小杉駅から東横線乗り換えて行く〈よそゆき〉の街。なかなか馴染めるところまではいかないところ、つまり敷居が高かった。

 そんな渋谷がグンと身近になったのは、上智大学に進んでから学生コンパの街になったからだろう。はじめは、地元の四ツ谷しんみち通りから新宿へと出張っていたのが、「ジュク」を根城にする大学が他に多かったせいもあって、学生間に「ブヤ」に新規開拓の心意気が芽生えた。
 また、大学紛争がはじまってデモになると、機動隊に追われて逃げる向きも「ジュク」方角に傾くことが多く、すると自然「ブヤ」は都合のいい緩衝地帯になったこともある。そんなときには、よく宮下公園でホッと息を抜いた。

 渋谷が、やがて西口の公園通方面から原宿ムードに染まり、いま見るようなヤングタウン化していくのは、その後のことになる。





◆谷地形にある渋谷、渋谷川の岸を嵩上げした宮下辺り

 まだ駅近辺は再開発の波おさまらない渋谷、ひさしぶりの宮益坂下。
 前から宮下公園は、宮益坂と交差する明治通の路面より一段高く、山手線の線路と同じくらいに嵩上げされていたのだが…。いまは、なんと4階建ての巨大モールのごとき「ミヤシタ パーク」、細長い立体ビル上の公園(全長330m)に変身を遂げている。
 
 戦前の1930(昭和9)年、宮下公園ができたときは、まだ平地だったという。
 それが戦後の1964年(昭和39)、前回・東京オリンピック開催の頃に近接する渋谷川を暗渠化、その人工地盤上に「東京初の屋上公園」(下は駐車場)として整備されたことは、ぼくも覚えている。

 ……………

 それから、半世紀を上まわる歳月を経て、
 宮下公園の再整備は2011年から。

 ざんねんながらボクには、この時期の記憶がほとんど無い。…というのも、この年、春まだ早い3月11日、あの東日本大震災+大津波+フクシマ原発爆発の一大事があって、ニッポンが大きく揺さぶられたからである。
 あれからの9年余りは、戦後を見とどけるボクの役目と心得て、被災地に脚を運び、寄り添うなんて…とんでもない、そんなんじゃない、ぼく自身のすべてを見なおす
ときをすごすのに精一杯だった…。 
 
 その間に、じつは、ホームレス事情を含むあれこれスッタモンダもあった宮下公園の再開発。いちどあった〈仕切り直し〉を乗り越えて、いま見る姿になっていた。
 出戻り…みたいなボクにとっては、ほとんど(おぉ)驚きの新世界。
 
 3階までは、タウン・ムードただよわせる高級ブランド店やスポーツ・ブランド店街に土産物店もまじる、むかしからの渋谷らしい〝雑多〟なふんいき。わるくない…が、これはいま、どこにでも見られる風景でもあって、とくに目新しさはない。
 屋上4階の公園に上がって、やっと広がりの開放空間「ミヤシタ パーク」に出逢い、ホッとする。

 芝生の広場には、思い思いに散策のひと時をすごす人々の、なごみの姿がゆったりと散らばり。ふと見上げると、すぐ南の空高くに「渋谷スカイ」の展望空間、ゆく夏を惜しむかのつよい陽を浴びて、こちらを見ていると思しき人影をクッキリと際だたせている。
 園地には、駅前ランドマークの「ハチ公像」も新たな居場所を与えられており、こちらの方がすべてに明るいぶん、気もちよさそうに見える。

 この広場は高層ホテルのロビー階につながり、ボルダリングウォールとスケート場には親子連れの、なごやかに憩う姿がほほえましい。
 ここには、フットサル・コートや、ビーチ・バレーが楽しめるサンド・コートまである。ただし、
 開けてはいても、やはり広がりにはとぼしい、ビルの谷間…から連想がいきなり『ウエストサイド・ストーリー』に飛んだのは、ぼくの時代錯誤だったかも知れない。

 「ミヤシタ パーク」から渋谷駅前へと戻る、これも手狭な一画には、いかにも(古びた)風情で「のんべい横丁」が、ぼくもかつて晩くまで呑んだ覚えがある…夜の商売に草臥れたのか、「新コロナ禍」のいま惰眠をむさぼるかのように見えた。
 振興のパークの1階にも、次世代向きとでもいうのか、「渋谷横丁」なる提灯・暖簾街ができており。これは、どう見ても装い新たな新興勢力の方に、はるかに分があるにちがいない。
  ……………

 駅前のスクランブル交差点、信号脇に立ってあらためて見上げると、「渋谷スカイ」の高層が、秋田夏祭りの「竿灯」のごとくに、こちらに傾きかかって見えたのがオカシかった。
 こんな場面に、漱石とか露伴とか寅彦とか、あの頃の文人たちが出逢っていたら…さて、ナンと呟いたことだろう……