どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ぼくらは〝音〟にめぐまれているか? /     『ようこそ映画音響の世界へ』を聴きにゆく

-No.2572-
★2020年10月06日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3498日
★延期…オリンピック東京まで → 291日
★旧暦8月19日(月齢17.7)




◆〈音〉の世界が心地よくない

 ぼくは〈難聴〉気味の、医学的には耳鼻科補聴器外来の患者だ。
 きっかけは、もう20年以上も前にさかのぼる。
 南伊豆、現役ばりばり漁師さんの船に同乗させてもらって、伊豆大島沖の金目鯛漁を取材したとき。わが耳、聴覚の不良ないしは不足にイタく気づかされた。

 高速化した現代の漁船は船足の早いぶん、容赦なく喧しいエンジン音を撒き散らして突っ奔〔ぱし〕る。
 このときの相手は、腕も評判なら口も達者な、取材者にとってはありがたい好敵手。漁場へと向かう船出のときから、あれこれ漁の話しに花が咲き、火花も散った。
 ところが、沿岸域を離れエンジンがフル・スロットルになると、相手のコトバが通じない。耳に手をあてて聞き耳をたて、聞きとれなければ何度も聞き返して…しかし、どうにも埒〔らち〕があかないので、ついにギブ・アップ、会話の断片のうち重要キーワードと思しいのを手帳にメモっておいて、帰港後に再度、追加取材をさせてもらった。

 そのときの漁師さんの(ご存知だろうか、彼らは総じて気が短い)、つとめて辛抱づよい笑顔の応答が、ぼくにはひどく皮肉にコタエた。
 そのすぐ後には、有機農業者の方の車に同乗させてもらっての収穫取材行で、やはり相手の説明がなかなか聞きとれなかった。その上に…
 農業者も、根っから鷹揚な方ばかりとはかぎらない。話に熱が入ると、助手席のボクの方に顔軸を据えて向け、両の手ともハンドルから離れる一瞬があったりするのがコワいようで、これもまた骨身に沁みてコタエた。

 それからの10年ほどは、吾が聴力に疑問を抱きながら、だましだましの聞きとり会話がつづいて。
 ついに意をけっしての耳鼻科診療、大学病院での聴力検査などの結果によると。
 
 ぼくのタイプは、内耳および聴神経の〈音を感じる部位の障害〉による「感音性難聴」(外耳および中耳の〈音を伝える部位の障害〉による「伝音性難聴」もある)。
 治療で、回復の可能性があるのは伝音声難聴で、感音性の難聴は治癒が難しい…加齢による難聴の多くがこのタイプ、と言われ。
 原因は、聴力のカギをにぎる内耳(蝸牛)の有毛細胞の摩耗・減退で、いまのところ有毛細胞再生の術〔すべ〕はなく、補聴器の助けを借りることになる。
 正常聴力の70%くらいまでしか聞こえていない、ぼくの場合は「中程度難聴」と診断され、より有効といわれる両耳に補聴器を着けることになった。
 ここまではナットクである。ぼくは、基本「餅は餅屋」のヒトである。

 だが、そこから先に……




◆険阻な径〔みち〕が待っていた!

 聴力が正常(…かどうかの判定も、じつはムツカシイのだが)な方にも、聞こえ難くなったときのモドカシさや、ときには苦痛の、想像はつくだろう。
 「よく聞こえない」と言うほかに、症状の説明しようがなかったりする、からだ。
 それはたとえば、外傷よりも内臓系の、複雑多岐な「痛み」を表現する難しさにも、相通ずる。

 補聴器を最初に着けるときの、微妙な調整の難しさから、それは始まった。
 「難聴」といわれるものの状況の、まだ正確な把握さえできない状態で、聞きとるための「音」を、しかも心地よくする手だてを模索する…ということなど、これまでに考えたこともなければ、思ってもみなかった者にとっては、どれほど隔靴掻痒〔かっかそうよう=はがゆく、もどかしいコト〕の困難事であったことか。

 ともあれ、そうして。
 はじめは月に1度、やがて3月に1度の診察と、ほぼ半年ごとの検査とで、気の遠くなるような、しかも、はじめから〈制限時間なしの延長戦〉をスタートした。
 診察といっても、「どうですか?」「はぁ、まぁ、とくにこれといった変化はありませんが…」「では、つづけて様子を診ていきましょう」てな調子で。患者にとって〈診察とは名ばかり〉の、覚束ないこと、おびただしく。
 なにより、〈難聴の患者〉と〈聴覚になんの問題もない医療関係者〉との間に、厳然と立ちはだかる高いベルリンの壁は、いかんともしがたく。

 途中で、あきらめて診察・治療から脱落していく者と、入れ替わりに新規患者となってくる者とが、待合室で交錯。
 あらためて、「耳」に問題をかかえる人の多いこと、小児にも「難聴」の患者がかなりあることに、あらためて気づかされ。

 そのうちに、待合室ですごすケッコウ長い時間、ぼくは「音」と「聞こえ」に対する諸々の事情を、やむをえず考察するようになっていった。

 すると……



◆〝音〟も〝環境問題〟にいきつく

 記憶にあるかぎり、だけれど、ぼくが「耳に聴く音」として最初に意識したのは「闇にもある音」だった。深い闇にはたしかに、なにか目には見えないものの存在を
感じさせる類いの、微かな音が在った。
 しかし、それは時とともに、「聴きとろうとする音」と「聴こうとする耳に邪魔な雑音」との群れに紛れ、薄れていった。
 それでも、じつは、いまでも「闇の音」に気づくことはある…が、いまのそれは現実から記憶の領域に移った音のように思える。

 実用としての「音」は、学校の授業からハッキリ意識された。
 それはきっと、遊びにまつわる音のほとんどは、身ぶり・動作によって補助される、いわばボディー・ランゲージだったからだと思われる。
 先生の声は、教師(授業者)用に指導されたものであったろう、おしなべて聴きとりやすかった、が。なかには、聴きとりにくい声の先生もあって、それが先生への信頼感、ひいては好き嫌いにまで、むすびついていったかと思う。

 そうして、いまボクはハッと思いつく。
 小学校の頃から、じつはボクには「難聴」の気があったのではないか? そのことであった。
 いましがた、ぼくは「先生の声はおしなべて聴きとりやすかった」と言ったけれど。より正確な事実は、すぐに(ほんとに、そうかょ)と異を唱える内なる声があった。(そうだ)と、追憶が教える。
 ほんとは聴きとり難いことも少なくなかった…のを、ぼくは、そのコトバの前後の脈略や、教科書の文字表現によって補っていたのではなかったか…という事実であった。

 ぼくは、小さい頃から、つまり生まれつきハキハキと「声」が大きかった。
 そうして、「いい声ね」褒められることはあっても、面と向かっては貶〔けな〕されることなどなく、従ってまったく気にすることなく育ったのだ、が。
 中学に進んだ、あるとき、大声に怒鳴り散らして喋る大人に出逢って、のち、この人が「耳が遠い」という事実を知らされ。その話しを友だちにうちあけたら、「お前の声もデカいけどな」と切り返されて、はじめて知った。
 「耳の遠い人は、みずからの声も大きい」傾向がある、らしいことに!

 その後〈生の音声や声楽〉から、物理的な〈音響〉や機械的な〈音楽〉へと耳を向けられたが、ぼくは〈つくられた音〉より〈巧まざる自然な音〉の方に癒される性向があり、つくられた音でも環境音楽系を嗜好した。
 しかし、生の声や音は、いつ・どんなときでも、そのままで通用するとは限らないものでもあり。
 ぼくがそれを思い知ったのは、映画の世界であった。

 映画は、暗く設〔しつら〕えられた空間で、スクリーンに映し出される映像に集中し、その映画世界に没入するもの…である、が。
 それだけでもない。音響によって醸し出される、もうひとつの映画世界がサイド・バイ・サイド(不即不離)に在って、共鳴・共感する。

 ぼくには、映画づくりを志した時期がある。
 そのときあたかも、国内では(斜陽)映画から(隆盛)テレビへの移行期にあたり、またヌーベルバーグの影響をうけた〝独立プロダクション〟全盛の時代でもあり、ぼくもその流れのなかにあった。

 ぼくが努めた助監督の仕事は、いうまでもなく監督の助手であり、したがって〈なんでも屋〉であって、うっかりすると天気予報の才まで要求されたりもした。ロケでは、俳優やスタッフたち大所帯のスケジュールを、遅滞なくとり仕切る必要も大いにあったからである。

 映画製作現場で呼ぶ「音声さん」は、録音や音づくりをとりしきる音響のプロであり、音響デザイナー、音響編集者、音響技術者とも称される。
 助監督は、音づくりの手伝いをすることもあって、いい体験をさせてもらった。

 ぼくの知る「音声さん」は、作曲以外のあらゆる音をつくり、幅広い〝音源〟のコレクターであり(たとえばクラシックならほとんどの曲が脳内に整理され)、暇さえあれば欲しいイメージをもとめてあらゆる場面へ録音に出歩き、別の専門家に依頼するのは「効果音」くらいのもの。
 彼が録音して集めた音源のなかには、それだけでウレると思われるものが少なくなかった。

 「音声さん」はカメラマンと同様、監督と協同、並立する立場にあり、とうぜん負う責任も大きい。
 映画づくりにおける音響の重みは、たとえば「無音もまた音響効果の重要なファクターである」ことに尽きる、ともいえる。
 「音声さん」の音づくりは、また、監督のフィルム編集とも同じレベルに位置づけられる。ということは、音響デザインは佳かったのに「映画作品」としてまとめられ、スクリーン世界に現れたときにはものたりない…というようなこともおきる。

 そうしてボクは、やがて「音声」や「音楽」にもレベルがあり、それは〝効果〟と〝費用〟の兼ね合いである、ことも知る。「音」にも、カネをかければそれだけの効果はあり、あとはどれほどのカネをかける価値があるか、による。
 〝クリア〟で、かつ〝個性的〟な「音声」や「音響」は、いま現在でも、技術的にはかなりの高レベルで達成可能である、ようだ。

 ザンネンながら、テレビジョンにはさほどの高レベルが求められてはいない。だから満足は得られない分を、人々はコンサート・ホールなど他のメディアにもとめることになる、のだろう。

 しかも、現代社会の環境悪化は、「音響」世界もまた例外ではない。
 いかに、耳ざわりな戦慄に充ちた〝ノイズ(雑音)〟から逃れて、心地よい架空の〝音場〟を醸成するかにかかっている。
  ……………
 
 ぼくは、以上のことをわきまえたうえで、しかし、自身の「難聴」と「補聴」の事情には、なおナットクいかない(ただの不満ではない)ものがのこる者、であり。
 その解消にむけては、もうひとつ他の専門医療機関に「セカンド・オピニオン」の診察をもとめて、なんとか死ぬまでにはナットクを得たいと思っていた。

 その矢さきの、こんどの「新コロ」自粛騒動。すべてが狂ってしまった予定の行動のなかに、「難聴」対策の診療もまぎれこんでしまったのであった。

 そこへ…1本の映画がやってきた。




◆『ようこそ映画音響の世界へ』

 これこそ「映画は音画でもある」をアピールする作品であろう。
 ただ、とても一般ウケするとは思われなかったから、公開と同時に、いつ終映になるかも知れない気がして、シアターの〈三密〉空間、制限が解除されてすぐの9月中に観に出かけた。

 鑑賞後の感想をさきに言っておくと、エガッタ~…し。
 このとおり、「新コロ」新規感染者にもなってはいない!

 この映画は、長くハリウッドで『クリムゾン・タイド』(1995)『アルマゲドン』(1998)など数々の映画製作に、主に音響デザイナー&編集者として活躍してきたミッジ・コスティン監督の作品。

 音声、音楽、効果(sound effects)、編集、アフレコなど、音響工程の美味しい細部を見せてくれる、刺激的な参考書であり。「じつは映像と音の二つでできている映画の、音とは、それと気づかせずに近寄って観客に鳥肌を立たせる魔法だ」ということを、実写フィルムの実証を駆使して表現し尽くす、音響技師たちへの敬意と愛のメッセージ集でもある。

 映画製作、協働者の立場から、映画監督たちもそれぞれの代表作場面とともに登場。『スター・ウォーズ』(77~)シリーズのジョージ・ルーカス、『E.T.』(82)『プライベート・ライアン』(98)のスティーブン・スピルバーグ、『エレファント・マン』(80)のデヴィット・リンチらが、映画世界に無限の広がりをもたらす〝音響〟の驚異を語り。
 ぼくは、それぞれの作品の記憶をあらためて鮮明にしたり、見のがした作品のいくつかに再会のチャンスが欲しいと思った。
  ……………

 この映画にも「日本語版字幕」がついて、鑑賞のたすけになったが、それでなくても〝音響〟をウリにするだけある、ファイン・クリアな音場がヨカッタ。

 ひるがえって、現在ある日本の音響環境は、明らかに見劣りがする。たとえばテレビなど、音声は日本語であるのに「字幕」の補助が欲しい放送が少なくない。
 それは、まぁ、音声を発して喋るのがアナウンサーだけではないのだから、やむをえない。…と言いたいところだが、じつは、その音声で伝える専門家のはずのアナウンサーやナレーター、役者さんたちのなかにも通りのよくない声が多い…。

 映画にいたっては、ちゃんとしたシアターで鑑賞しても、どういうものか、ことにも「音声」にクリアさがなくていけない。(想えば…もうずっと以前からのことだけれども)もう少しなんとか、ならないものだろうか。

 ぼくは、近ごろ、ときどき、試みに他の人に「いまの音声、聞こえました?」と訊ねることがある。
 すると応えは、
「いえ、よくワカリマセンでしたね」か、
「あの…たぶん、こう言ったんじゃないですか」
 である。

 「聴かせる」のが仕事の、アナウンサーやナレーターや俳優さん(アナタたちは見せるだけではない)たちの多くに、さらには音響部門の仕事に携わる方々の多くにもまた、「音声を伝える」ことへの配慮にもっと努めてもらいたいものだ、と思う。

 つまり
 なんとかして欲しい、いま現在の日本の〝音響環境〟なのであった……