どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〝密〟にならずに〝ベタベタ〟もせず / 大都会のアウト・ドアをあじわう「SHIBUYA SKY」

-No.2565-
★2020年09月29日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3491日
★延期…オリンピック東京まで → 298日
★旧暦8月13日(月齢11.7)









◆「水入り」はやむをえない、か…

 「新コロ」ガマンも、いいかげんブチ切れそうになってきた頃。
 ふと肌に感じた風が教えてくれた、小さい秋。
 
 高どまり状態がつづいた第2波も、さいわい〝爆発〟にはいたらず。
 (…が、それが幸いだったのか、どうかは、まだ…わからない)

 怖々〔こわごわ〕「Go Toトラベル」の橋掛かりもなんとかもちこたえて、すでに次は「東京も入れてやろうぜ」ムードだし。
 おまけに「Go Toイート」「Go Toイベント」「Go To商店街」もはじまるョ、延期になったオリ・パラの開催もあることだし、外国からの入国制限もそろそろ緩めていきましょうかァ。テストにイベントの入場者数制限も緩和してみましょうネ、と。
 世は、挙げて一気に「コロナはおわった、さぁ皆さん出番ですゼ」のムード。

 世の人の、浮き浮きしたがりは、いつものとおり。
 でもねぇ(なんだかなぁ…)アブナッかしいかぎりなんだけれども。かといって
 コレといった感染〝封じ込め〟の〝妙手〟とてない、感染症専門家筋や意識的市民サイドも手詰まり感、否めない。
  ……………

 この、すでに始まってから久しい「新コロ」事態、早や半年を越え、長びく五里霧中の形勢にフと想い出したのは…

 藤井聡太、二冠人気に沸く将棋界。〝勝負なし〟の膠着状態を指す「千日手」ではなくて。こいう場合は、ヤッパリ
 「はっけよい」で肉弾ぶちかます大相撲、その審判規定にある「水入り」の方。
 そう、いまはもう、ほとんど見られなくなっているけれど、かつては相撲とりにもファンにも熱気こもごも、たがいにゆずらぬ「がっぷり四つ」の大一番。

 相撲は瞬発力の勝負だから長期戦には向かない。
 「水入り」の判断は、時間にすればせいぜい4分くらい。行事と審判長の判断で決まるのだが。同じ組手、脚の位置なども確認のうえで、ひと息入れて再開。なお勝負がつかなければ「2番後取り直し」、それでもなお決着がつかないときには「引き分け」になった。
  ……………

 こんどの「新コロ」が相手の取り組みでは、収束に向かうか…と思わせぶりな「非常事態宣言」打ち切り後、いっときの間をおいてまた盛り返す、第2波がきたところで、ひとまず「水入り」。それでもなお、双方ひるまず、高どまりの一進一退がつづく感染状況で「2番後取り直し」になった。
 …というのが、正直なところではなかったろうか。

 はりつめた気がホッとゆるめば、喉の渇きや忘れていた尿意に、あらためて気づく者がある。小さいけれど、たいせつな用事を思い出す者もあるだろう。 
 



◆みんな「寂しん坊」

 せっかくの夏休みを、棒に振らされた大衆の「水入り」、シルバー・ウィークとやらの4連休。
 ドッとばかりに繰りだす人出は予想できたし、気分は痛いほどにワカル。
 ぼくたちも、ご同様、深呼吸の背筋を伸ばしに、最終の秋分の日に出かけた。

 …といっても、人混みの行楽地はゴメンである。
 万が一「新コロ」感染の怖さより、人混みにまぎれてホッとよろこぶ…そんなイジマシさがなにより嫌だった。
 
 人は孤独なもの、ほかの生きものと同じことだ。
 (群れたい)のはワカルが、(群れても孤独)にかわりはない。
 むしろ(群れの中の孤独)のほうが、深く、逃れ難い。

 かといって、かつての気休め処。
 アンダーグラウンドに潜るのも、いまはフシギなほどに重く、気おくれがする。

 (よ~し)ならば…ほかになし。
 思いきり風の吹き抜ける、気のふさがりようもない高みがよかろう!
 …と、出かけたのは、渋谷スカイ。
  ……………
 
 下目黒の五百羅漢寺へ、秋彼岸の墓参をかねて行く。
 この間、世には「不要不急の外出はひかえて」との、〈自粛病〉とも呼ぶべき気分が蔓延。〝不要〟でも〝不急〟でもないはずの、帰郷や面会、やむをえず諦めた人が少なくなかったのを、チクリと痛く想いだす。
 ホント、日本人の〈なにごともイッショ〉志向には、呆れるほかない。

 ことし
 春の彼岸どきは、感染パンデミック上昇気流のなか。目黒川沿い、花見の群衆に紛れて少しく歩み。他人への気づかいより好奇心がさき…の若者たち気分に押されるほかなかった記憶、鮮明によみがえる。が、いまは人影のかけらもなかった。

 7月のお盆は、国の「緊急事態宣言」も「東京アラート」も解除になったあと。 
 (でもさ…ホントにダイジョブなんですかねぇ)
 人みなコワゴワ、オソルオソルの世相。バスや電車に乗るにも、素早く車内の様子を見わたす目のうごき、いまから想えばオカシイくらい。
 さすがに、根は臆病質の日本人、マスクなしの人はほとんど見かけられなったけれども、腰はすっかり軽くなっているのが、よくワカッタのであった……




◆やっぱり高みはイイ、気も晴々爽快

 渋谷も、人出はふだん(「新コロ」以前)より、やや少なめなくらい。
 思ったとおり、(もぅ、いいんじゃないかぃ)伸びきり緩んでしまった糸は、さっぱりと捨てて、新たに引き出してくるほかなさそうだった。

 あれほど、緊めておいた張りがポョ~ンと、いともたやすく弛〔たる〕みをとりもどして、恥じらいもなく平然。
 人々の身うごきを見ていれば、それは一目瞭然。

 つい、きのうまで、とうぜんの個差ともないながらも、ぴっちり身にまとっていたコントロール・スーツ。凝視〔みつ〕めず、さりげなく抜けめなく逸らす眼線…とか、わが身のバリア・センサーに、けっしてアドヴァイザリー・ランプを点灯させない動線の確保…とかいったものが、きれいさっぱり無くなっていた。

 愛おしくも惰弱な吾が同胞〔はらから〕どもよ!
  ……………

 ぼくは、みずからが(長かったな)と思える旅のしめくくりには、きっと、空をふり仰ぐことになっていた。
 いかなる信仰にも、かならず、拝むか祈るかの指標・目標がなくてはならない、そうな。さすれば天空もまた、無限の広がりの悠久さゆえに指標・目標たりうる。
 水平か地平かが求められれば、茫にして昴とした拠りどころを求める。東日本大震災の被災地東北巡礼の帰途、風吹きつのるデッキから眺める太平洋がそれだった。
   ……………

 凄まじい勢いで、いま再開発が進む渋谷駅エリア、その東口。
 渋谷ヒカリエを控えにまわして聳え建つ、渋谷スクランブル・スクエア。ビル屋上という認識を超えて…天空といっていい領域へ、いざ。
  ……………

 14階から乗り換えるエレベーターには、絵に描いたような親子4人連れと一緒。
 まだ幼い女の子は、無心に甘いお出かけムードにひたる、いっぽう。自我、伸びざかりと思われる年ごろの男の子の方は、異次元への「予感と移行」の空間、演出されたなかにあって、なぜかボクの方を見て、しきりに(ねぇ、ホントにぃ)と問いかける風情…。はにかみをまじえた眼差しが、フと気にかかる。
  ……………

 スクランブル・スクエアの14Fまではショップ&レストラン。エレベーターを乗り換え、45Fまでのオフィス・フロアを突き抜けた上に、展望フロアがある。
 そこが、みずから「展望装置」と称する仕掛けつきの名に恥じないものであることは、すでに幾人もの知友から報告を聞いていた。

 展望〈解放〉フロアの入口へ、光に誘われて上るエスカレーター、逆光になって先を行くさっきの少年の影が、光のなかに溶け込む前にチラと、こちらを振り返った。

 「展望装置」への立ち入りには、万が一の事故を防ぐためだろう、余計な手荷物の持ち込みが制限される。
 感覚はまさしく上空にある地上230mの、そこは、まさに、ひとつの「現代の天外」だった。46階とルーフ・トップの「SKY STAGE」から成る空間は、高層ビルのワン・フロア以上の広がりを感じさせ、これまでの「おまけ」感を払拭、ついでに物見遊山風情からも感覚的に開放して魅せる。

 なかでもルーフ・トップの迫力は、従来の「屋上」イメージからさらに上へ、天空へと浮上した…といっていい。
 厚い透明アクリルの壁に守られ、高所恐怖からは逃れながら、グルリ見渡すかぎり、遥か遠くからの風を直に感じられる。空気の味わいまで深く噛みしめることができて、ステキだ。そんななかに人が、てきとうに散らばっている。

 空との境界「SKY EDGE」への入場には、ソーシャルディスタンスの短い列ができ、さらに1段と高い展望「GEO COMPASS」の上では、あらためて天に向かい両手を突き上げる姿が交替しあい、ひと巡りしたあとは、ハンモックに寝ころび、空と向きあう。
 ぼくの気になっている少年は、その、ところどころ、ときどきに、視界のなかにあって、とうぜんのことながら、たいがい遠い空を見ていた。
 ぼくには心なしか、日常の見えない靄につつまれた下界から解放された少年が、(これから、どうなっていくのかな?)未来と向きあおうとしているように、見えて仕方がなかった。

 眺望では、神宮の森をはさんで新宿副都心から、奥多摩方面にかけての風光に、いちばん見飽きない趣きがあり。反対に、東京湾の海や富士山までの見透しが利かなかったためか、そのほかの向きには、不思議と心惹かれるものがなかった。
 空があれば…また来よう、それでヨカった!

 天空のステージに、小1時間もいたろうか…
 気がつくと、いつのまにか、少年一家の姿もぼくの視界から去っていた。
 (満足した)想いで46Fの室内に降りたのだ、けれど。どうやら、ぼくは〈天空の空気〉に酔っていたらしい。
 そこには、また別の、〈落ち着いて吾をふりかえる時空〉が待っていた。

 10月末までは、夕刻から開いて夜景にひたれるルーフトップ・バーもいいだろうし、「時空の川」をイメージさせる映像装置もシャレている…が。
 ぼくが、なにより気に入ったのは、なにもない窓際のフロアに置かれたクッション〈…のある風景〉といいたいようなエリア。
 
 好きな体勢を支えてくれるクッションに身をあずけると、外の風景がまた、より一層の深みを加えてくれるように思える。
 ぼくは、そこに、しばらく沈みこんで、感染症パンデミックを想った。

 日本の「新コロ」感染状況とその推移をみてくると、なるほど、山中伸弥教授が指摘した「ファクターX」の存在がうなづけてくる、が。
 それでも、日本人の〈衛生〉指向が他の国・地域よりも優れているから…だけではナットクしかねるし。だいいち、それでも「これで抑えこめた」状況にはほど遠い。

 しかも世界に目を転じれば、各方面に感染再拡大が進みつつあり、全世界の死者数はついに100万人を突破。日本でも、これから迎える秋・冬に向けて、「新コロ」と「インフルエンザ」のダブル・リスクも心配され。

 そんな状況下でオリ・パラ開催が叫ばれても、いちど熱気の去ってしまった大会、くわえて感染の治まらない国や地域を除外しての大会になれが殊更に、はたして、どれだけの意義が認められるのであろうか……