どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

このトクベツな夏に…自分をとりもどす

-No.2508-
★2020年08月03日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3434日
★延期…オリンピック東京まで → 355日
★旧暦6月14日、待宵月・小望月
(月齢13.4、月出18:46、月没03:55)




◆じめじめストッパー……や~めタ!

 「新コロ」感染禍中の滅入る気分に輪をかけて、ことしの梅雨のクソ長かったのにはホント、まるで深海潜水艇にでも閉じ籠められたかのようで、ひたすらマイッタ。

 ぼくは、シトシト雨が、ジメジメ空気が、なにより苦手。
 天気でも、どしゃ降り雨とか、すか~っと晴天とか、のほうが断然スキ。

「新コロ」忌避の〝自粛〟なんかじゃナシに、あくまでも、腕を撫〔ぶ〕し脚を摩〔さす〕って〝待機〟のつもり…だった、のだ、けれども。

 じつは(やっぱり〝萎縮〟していたらしい)ことに、気がついた。
 ぼくは、イジケやすい子どもだったし、長じたいまも、じつにもろくもクジケやすい、ところがあり。
 それを遠ざけてすごすための人生だった…気さえする。

  ……………

「ことしは、まだ台風が来ません」
 ニュースのアナウンスに、ぼくは(そうだった!)とナットクした。
 「線状降水帯」とかいう厄介な気候現象のこともあるから、大きな声では言えない…けれど、こんなジメついた気分のときには、頭の芯から震えるほどの〝活っ!〟が欲しくもある。
 (実際ことしは、ついに7月中は台風の発生なく、8月2日になってやっと、南の海に産声をあげている)

  ……………

 相撲の世界に「ゆるふん」と呼ぶ蔑称がある。
 褌をわざと緩く締めて、相手の攻撃を躱〔かわ〕そうという、卑怯な手段を指す。

 ことしになって間もない頃から始まった、ニッポンの「新コロ」対策。
 第1波への手遅れはドジでオソマツだったけれども、まぁ、後をしっかり〆てくれれば(いいんだけどねぇ…)と、皆さん期待薄に思っていた、不幸にもその通りになってしまったその後の展開に、ぼくなんぞも唖然となるしかなかった。 

 5月25日の「緊急事態宣言」解除、以後、ほんのチョイの間の休息はあったものの。「第2波は秋ごろからだろう」との大方の予測を裏切って、侮れないクセ者ウイルスは、守りの手薄なところから再び侵入を開始。ジワジワと繁殖域を広げ始め。
 どうやら…
 彼らウイルス族は開拓期の苦境をのりこえ、ヒトの身体に駐留する(居座る)ことに成功した。

 この不気味な動静を、またもや甘く見くびったニッポン政府は、この期におよんでも、ハッキリした方針や目に見えて明らかな対策はいっさいナシ。
 国民には「注意を」とお呪〔まじな〕いみたいに繰り返すばかりで、安心感をとどける気など毛頭ないらしいと、哀しいかな知れてしまった。

 特異でヤッカイな「新コロ」ウイルスを、おきまりの〝指定感染症〟からは、あえて外すことで、柔軟な対応が可能になると知れていながら、それさえもできない。
 なんてのも、相手を見くびっているからだろう、のは明らかだし。

 政府召集の専門家会議が、当初はイイうごきをしていてくれた、にもかかわらず、ある日「前のめりなりすぎていた」と反省の弁を口にしたあたりから、風向きがおかしくなって。
 「新型コロナ対策分科会」と名称を変えてからは、その間にどういうやりくりがあったものか、政府向け〝忖度〟の場に変貌。
 専門家にしかできない〝警告〟ほったらかしにして、経済向きのことに気をつかう立場に、いつのまにか変貌しちまって(嗚呼!)。

  ……………

 7月29日(水)に全国で1,000人を突破(1,260人)した1日の新規感染者数は、8月1日(土)には1536人。東京都でも300人代から400人代へ。そうして…

 ぼくが初期段階から、これまでずっと心情的な指標としてきた地域。
 全都道府県で唯一「感染者0」で耐えてきた岩手県にも、ついに、初めての感染者が出てしまった。
 この時点で、ぼくは「じめじめストッパーの留め金」をキッパリ外した。

 みずから意識して掛けたつもりはなかった…が、いつの間にか掛かってしまっていたらしい〝怯え〟の掛け金との、縁を切った。
 ぼくも知らず知らず、いつのまにか、どうやらサイレント・マジョリティー(もの言わぬ多数派)の仲間入りをしていたらしい。けれども…
 きみたちともお別れだ。

 あれほどワカリきった「経済をまわす」切り札の、「PCR検査を皆に」の対策実施が、〈デキない〉のか〈スル気がない〉のか。
 どっちもアリ…なんだろな。
 現在の政権には〈コトバに実がない〉けれど、対策の実施にあたって「目詰まりがあった」というのは、珍しくホンネだったらしい。

 政策責任を負う政府・与党にも、実務に責任を負う官僚機構にも、思いきった〝摘出手術〟するしかない〈血流に目詰まり〉がある、ようだ。
 「心筋梗塞」や「脳梗塞」と同じ、命にかかわる病根、言うまでもない。
 そのイヤでも明らかにならざるをえなかった病根のひとつが、まちがいなく「保健所」体制でもあったのだろう。

 これも急務とされてきた「コロナ専門病院」開設のことが、ようやく現実になってきた…けれども。これさえも、あくまでも、人命責務を体現する医療機関地方自治体との協力によってやっと実現したものばかりで、なんと、安全保障の責務を負う国の肝入りではない、とは、どういうことか。
 (身近なところでは、ぼくが心臓リハビリでお世話になっていた相模原市北里大学東病院、3月に閉院したばかりのここがコロナ中等症患者用50床の専門病院に生まれ変わる、とのこと)

  ……………

 だから、ぼくは、もう。
 現政権であるかぎり、信頼関係のもてない(国民に安心をとどけられない)この国には、期待をしない。
 罪を着せられちゃ堪らないから、反抗はしない…けれども。

 〝感染防止〟に鋭意とりくむのは、あくまでも自身と家族&近親縁者・知己のため、プラス、いまこのとき命の現場を支えてくださる医療従事者の方がたに、せめて報いたい、ため。
 「感染すれば重症化の怖れ」と指摘される高齢者に属する吾が身であれば、あと個人のレベルでできることは、周囲への気くばりくらい、しか現実にはあるまい。

 (感染者に対する〝経路追跡〟など、かならずしも専門知識にはよらない事柄であれば、高齢者の社会経験が生かせるハズだとも思うが…これも既成概念に囚われる者たちには見込みがない、のだろう)