どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「愛の国」から「幸福」へ…の時代 /      『よみがえる新日本紀行』とともに…➀

-No.2545-
★2020年09月09日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3471日
★延期…オリンピック東京まで → 318日
★旧暦7月22日(月齢21.0)

◆ピッタシ!

 とかくチグハグなとこが多い世の中だけれど、たまには「やったね、ピッタシ」とキンキジャクヤク気分になることもある。
 
 かつて、NHKのテレビ番組に『新日本紀行』というのがあった。
 日本の細やかな地域風土を紹介する、紀行番組の草分けであった。
  ……………
【注1】『新日本紀行』☟
*1
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 ぼくがこの番組『よみがえる新日本紀行』を、懐かしく、感情移入たっぷりに観たわけは、そこには紛れもないぼくの青春とその後が綯い交ぜになって投影されていたから。

 きっとこれからも、折にふれてたびたび、お話しすることになると思う。
 その、はじまり……









◆「幸福への旅~帯広~」

 『新日本紀行』での放送は、昭和48年(1973)。
  ……………

 画面は冒頭、上野駅
 きっぷ売り場の窓口で、ひとりの男が「幸福1枚」と言うところから始まる…が。
 駅員にはサッパリ通じない。
 しかたなく男が、「あの、しあわせの…幸福」と補足。
  ……………

 もしやすると、「え~っ、きっぷ売る係の人が駅名も知らないの!?」と、いまのヒトたちなら呆れてしまうかも知れない…ので、ちょと弁護しておくと。
 いまの「JR」に分社化される前、旧「国鉄日本国有鉄道)」時代の大所帯を想えば、無理もなかった。なにしろ分割民営化直前の1987年(昭和62)3月末時点で「国鉄」は、鉄道路線だけでも全国に、新幹線と在来線あわせて総延長19,639kmをもち、そこには大小5,000余もの駅が存在したのデスから。
  
 ベテランの駅員さんでも、田舎の小駅までは覚えきれない…のが実情。
 いま言う「乗り鉄」夢中時代のボクなんかも、見知らぬ土地への旅をくりかえす折々。目指す切符、行き先の駅名を告げ、「それ何処です?」発券係駅員さんのコマッタ顔を見るのが、秘かな愉しみであったりもしましたっけね。
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 さて、閑話休題
 次なる場面は、いきなり雪の原野の…小さな駅。
 粗末なホームに、降りる男一人。
 通称「デンスケ」と呼ばれる、マイク音声の録音機(これがまたクソ重かった)を肩に…その姿を、同行して来たカメラが追う。
 辺りにはナニもない、人っ子ひとりナイ…
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 「幸福」駅は、根室本線「帯広」駅から岐れる広尾線。あの「なにもない」襟裳岬への入り口「広尾」駅まで行く途中。
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 その終着駅「広尾」こそが、まさに、ぼくの青春、真っただ中。
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 現在のJR北海道、鉄道地図からは消えてしまっている、けれど。
 かつて、十勝平野の中心、帯広駅からは、北と南へ2条〔すじ〕のローカル線が延びており。
 北行は、糠平〔ぬかびら〕湖への入り口「十勝三俣」駅まで、士幌線78.3km。
 南行は、上記「広尾」駅まで、広尾線84.0km。

【注2】国鉄「片道最長切符」の旅☟
*2
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 このとき
 新記録(12,771.7km=当時)の「片道最長切符」を手に、5月15日に指宿枕崎線「枕崎」駅(鹿児島)をスタートし、有効日数の全65日を使って北海道までの長旅を果たして。
 最終の広尾線、帯広発13時10分の825列車(この頃の鉄道は蒸気機関車から気動車を経て電車への転換期だったが、非電化のローカルな広尾線に走っていたのはすべて気動車)に乗ったのが7月18日。

 ゴールの「広尾」駅には15時03分に到着。
 駅長さんから証明の朱書きメモを券面裏にいただいたのが、上掲の切符。
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 ともあれ
 このときが昭和47年(1972)、季節は夏。
 新日本紀行「幸福への旅~帯広~」の放送が、昭和48年(1973)、冬。

 これをきっかけに「幸福駅ブーム」というのが始まって、芹洋子さんの歌『愛の国から幸福へ』がヒット。ぼくも、じつはソレにひと役、買っていた。

 ともあれ……

◆帯広から5つ目が「幸福」駅

 その2つ前が「愛国」駅で、「愛国 → 幸福」の切符が「愛の国から幸福へ」と縁起をかつがれることにもなった、当時。
 その沿線一帯はまだ、生々しい肌ざわりでの〝開拓〟が実感された、ほとんどといっていい、すべてが〝原野〟の世界。
 放送のあった48年当時は、戸数52、人口444人、牛236頭、1戸あたりの耕地は平均25㌶…ありますものは、ただ天地の茫漠のみという…。

 ちなみに 

◆「幸福」地名の語源は不明

 ぼく、じつは
 アイヌ語由来の地名に次いで多い、北海道特有の「開拓」に因む地名ではないか、と思っていた。〈願望〉をこめた「豊富」とか、〈美称〉の「美深」「清里」とかのような…

 もっともありそうなのは、元の村名由来説だそうで。
 幸震〔さつない〕村(のち大正村を経て現在は帯広市)の「幸」と、開拓に入った福井県人にちなんだ「福」をあわせたもの、といわれる。…が、地元では苛酷な土地にぶつけた「捨て鉢な命名」じゃないか、と言う人さえある、とのこと。 

 実際、開拓民は越前(福井県大野市からの集団移住で、50人くらいが日露戦争のあった明治37年(1904)頃に入植。
 それからの苦しい「開拓」を生き抜いた後には、「大豆景気」に湧くという活況の一時代もあったのだが、これだって結局、大儲けしたのは都会の大資本や相場師たちばっかり……

 「馬耕」から「トラクター営農」へ、いまは大転換をとげている幸福の農地。農家数は約半数の25戸に減って、その分、耕地は倍増、すっかり大農化。
 たとえば秋の大根なら、収穫高は約15万本1,400トンにのぼるし、ジャガイモだって同じようなもの。
 農家の後継ぎには大卒も出てきて、広い農場にはモニタリング・システムが導入されたり、と。いまはもう、すっかり態〔さま〕変わりしている。

◆「大平原」号

 ちなみに
 広尾線の廃止(「幸福」駅も同時)は、「国鉄分割民営化」直前の(〝超〟赤字ローカル線の責を負うように…)、昭和62年(1987)2月2日。
 同じ「帯広」駅から北を目指していた士幌線も、ひと月遅れて3月23日に 全線 (78.3km) 廃止になっているのだ、が…。

 かつて鉄道最盛期の頃には、この両線にまたがって運転された臨時急行列車、その名も「大平原」が熱心な鉄度ファンの支持を集めていたことがある。
 その運行形態というのが、また珍しくて。共に行き止まり2路線の端から端までを走破する。つまり、広尾線の終着「広尾」駅から「帯広」駅を通って士幌線の「糠平」駅までを結んで、まさしく十勝平野を縦断する、という快挙もの(1967~74)であった。

 …そんななかにあって
 「幸福」駅は、平成25年(2013)には老朽化した駅舎を解体、新しく建て替えられて健在。
 かつては原野のなかの淋しい無人駅だったのが、いまは、「ハッピー・セレモニー」結婚式でも人気の観光スポットに変貌を遂げている。

*1: NHKで、1963年から1982年までの18年半の間に、制作本数計793本という記念碑的な番組のひとつ。その紀行精神は、後の『新日本風土記』(2011年春からBSプレミアムで放送)に受け継がれている。あの頃をふりかえると、この『新日本紀行』につづいて民放では日本テレビが、当時の国鉄キャンペーン『ディスカバー・ジャパン』とタイアップするかたちで 1970年(昭和45)から『遠くへ行きたい』をスタート…いまから想えばいいセンチメンタル・ドリーミーないい時代。  この『新日本紀行』でとりあげた日本各地をもう一度訪れ、当時からその後の歴史をふりかえって紹介しようと、新たに始まったのが『よみがえる新日本紀行』の取り組み。新日本紀行の制作は、16mmフィルム撮影(VTR=ビデオテープ録画ではない)で行われたおかげで、フィルムライブラリーに記録がのこった、むかしのものでは珍しいケース。1967年からはカラー放送になっていたものを、2018年から、高精細の4K画質に変換・制作、ハイビジョン放送されている。

*2: むかし「乗り鉄」の憧れに、国鉄「片道最長切符」の旅、というのがあって。二度と同じ駅・経路を通らずに行くかぎり、1枚の切符にすることができた。このルールを最大限に活用して挑むのが「片道最長切符」という、超贅沢のそれこそ夢世界で。新しい鉄路が生まれる(誕生したり延伸したりする)たびに、記録更新の可能性も更新された。  ぼくが、小出-会津若松135.2kmの只見線(新潟・福島)の全通を待って、当時の新記録を達成したとき。その「片道最長切符」の終着駅になったのが、広尾線「広尾」駅。士幌線より広尾線の方が、わずかに5.7km距離が長かった…。