どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.102~  現代はじめに耀いたスターたち       ④ポール・ニューマン

-No.2418-
★2020年05月05日(火曜日、こどもの日
★11.3.11フクシマから → 3344日
★延期…オリンピック東京まで → 445日
★旧暦4月13日、十三夜月
(月齢12.0、月出15:55、月入03:26)
※きょうは、二十四節気の「立夏(夏の始まり)」。たしかに…されど…ガマンの日々がつづきます。





★やんちゃで一本気な〝アメリカン〟★

 大作映画『ジャイアンツ』制作終了後に亡くなった、〈伝説の青春スター〉ジェームズ・ディーン
 彼の次回作に予定されていた『傷だらけの栄光』(56年、ロバート・ワイズ監督、アカデミー撮影賞と美術賞を受賞)の主役を、代わってつとめることになったのがポール・ニューマン(1925~2008)でした。

 ボクシングの元世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラシアーノの生涯を描いたこの作品で、ポールは拳ひとつで栄光をつかみとる青春像を好演、一躍脚光を浴びました。
 ちなみに、後の大スター、スティーブ・マックイーンが端役で映画デビューした作品でもあります。

 ジミー(J・ディーン)が、どこか少年っぽいふんいきを漂わせていたのにくらべて、ポールは初めから青春そのまんまの印象。「憎めない負けん気の利かん坊」キャラクターは、アメリカ人(とくに女性)がだ~い好きな男のタイプ。

 第二次世界大戦では兵役(海軍)で沖縄戦にも参加した彼は、その後、紆余曲折の人生を経て、52年にアクターズ・スタジオに入学。同期に、ジェームズ・ディーンマーロン・ブランド(次回登場)がいました。

 しかし、ポールの俳優スタートは波乱万丈、J・ディ-ンが『エデンの東』で、M・ブランドが『波止場』でトップスターの座へと駆け上がったのに対して、彼は「第2のM・ブランド」と呼ばれる始末。

 実際、彼ポールとM・ブランドには、似かよった印象を与える一面がありましたが…これはポールのために言っておきましょう、彼ほどの爽やかさはM・ブランドにはなかった…と。

 そうして、若いときの屈折もまた、アメリカ女性たちに愛されるキャラクターの要素で、ポールはそれをふんだんにもっていました。

★『ハスラー』で最高の耀き★

 高感度のたかいポールは、数々の〈賞〉にも恵まれた俳優で、『熱いトタン屋根の猫』(58年、リチャード・ブルックス監督、エリザベス・テイラー共演、作品賞・主演賞など6部門でアカデミー候補作)が、そのはじまり。

 けれども、ぼくが圧倒的な存在感をもって彼の代表作と認めるのは『ハスラー』(61年、ロバート・ロッセン監督)。この作品も、アカデミー賞において作品賞や監督賞を含む8部門にノミネートされましたが、受賞したのは撮影賞と美術賞だけ(イギリス・アカデミー賞では男優賞)。
 けれども、そんな〝受賞〟とはまた別の、主役ポールのインパクトが半端じゃなかった。

 主人公のエディーは若手のビリヤード・ハスラー
 〝ハスラー〟は、「相手を巧みに騙して金を巻き上げる勝負師=ギャンブラー」のこと。ですが、この映画の影響で「プロのビリヤード・ギャンブラー」と誤解している人がいまでも多い。
 ほかでもないボクなんかも、そのくちで、学生時代にはキャンパス(四谷)近くのビリヤード場で、講義休みには仲間とオダをあげていましたっけネ…。 

 映画は、そんなビリヤード・ハスラーの姿をとおして、若い男の、おもむくままの暴力と性を追っていく。まるでポール・ニューマンのためにできた映画、のようなものでした。

 主人公エディーが傷つきながら真剣勝負を挑んで、ついには完膚なきまでにその牙城を崩す。鋼の柱のごとき相手の、伝説的なビリヤード・プレイヤー「ミネソタ・ファッツ」を演じたジャッキー・グリーソンの存在感もまたよかった……

 俳優としての彼は、その後、西部劇『ハッド』(63年、マーティン・リット監督)から3度(65・67年にも)、ゴールデン・グローブ賞の「世界で最も好かれた俳優」に選ばれ。
 みずから監督をつとめ、妻ジョアン・ウッドワードを主演に起用した映画『レーチェル レーチェル』(69年)では、自身がゴールデン・グローブ賞ニューヨーク映画批評家協会賞の監督賞、くわえて妻にも女優賞をもたらし。

 さらに、ロバート・レッドフォードと共演の『明日に向かって撃て!』(69年、ジョージ・ロイ・ヒル監督)では生涯最高のヒットを記録。マネー・メーキング・スターの1位に選ばれる、などなど。

 ほかにも、やはりレッドフォードとの競演が話題を呼んだコメディー映画『スティング』(73年、ジョージ・ロイ・ヒル監督)では、アカデミー作品賞。つづいてパニック映画タワーリング・インフェルノ(74年、ジョン・ギラーミン監督)でもアカデミー2部門受賞…などなど。

 いつも、どこかで、なにかしらの受賞作にかかわりつづける。
 いっぽうでは、他の分野への進出にも積極的で。

 レーサーとしても44歳でプロ・デビュー、映画製作会社「ファースト・アーティスツ」を設立、過激な反戦運動ならびに公民権運動を展開。
 そして食品会社「ニューマンズ・オウン」の経営(その純利益すべてを恵まれない子らに寄付)など、50年代から半世紀にわたって第1線で活躍、つねに好奇心の塊〔かたまり〕、社会の関心を集めつづけましたが……

◆その栄誉のすべては『ハスラー』が根源!

 83年には、ゴールデン・グローブ賞の生涯功労賞にあたる「セシル・B・デミル賞」を受賞。
 85年には、長年の功績を称えられて「アカデミー名誉賞」。

 おまけに、これでもか…と
 翌86年には、ついに『ハスラー2』で初のアカデミー主演男優賞に輝いてみせました。

 つまり、彼ポールの、なにもかもひっくるめてのすべては、あの61年の映画『ハスラー』に根源が求められるのです。

 ポール・ニューマン
 一代のナイス・アメリカンな男は、07年に引退を宣言。
 08年に、83歳で亡くなりました。

 (バラク・オバマ大統領の時代は、その翌09年から始まるのですが…じつは、いまになって想えば、アメリカのイイ時代のオシマイが見えはじめたのもこの頃だった…感があります)