どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.100~  現代はじめに耀いたスターたち②ヤンキーでシャイな男…ジェームズ・ディーン

-No.2413-
★2020年04月30日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3339日
★延期…オリンピック東京まで → 450日
★旧暦4月8日
(月齢7.0、月出10:11、月没00:06)





★初主演の映画『エデンの東』★

 J・スタインベックの原作小説を、エリア・カザン監督が映画化した『エデンの東』。
 その制作&公開は1955年春、日本での公開はその秋。

 ときに、10歳のボクは小学4年生。
 映画好きだった父が、映画館へ連れて行ってくれはじめた頃だったけれど、ふだんはもっぱら日本映画で、ときどき少年少女向きの洋画、といったところ。

 まだ「ガキんちょ」のクセして、いっちょまえに(日本映画はまだるっこい)想いで、華やかな映画街を歩きながら、しゃれてセクシーな洋画ポスターは横目に睨むばかりでした。
 
 したがって、ぼくが1人で映画館に行き、小遣い銭ではじめて学割のチケットを買って、『エデンの東』を観たのは、東京の私学中学校に通い始めて間もなく。
 当時の映画街は、若者たちにとっては「夢見場」であり、同時に社会的には「悪所」でもあって、初体験には勇気のいるドキドキ世界でした。

 これが映画初主演のジェームズ・ディーンは、このとき24歳。
 ちなみに、ジミー(J・ディーンの愛称)は1931年生まれ、ですから、ぼくより14も上なのだけれど、スクリーンの彼はもっとだんぜん身近な、それこそすぐ隣りにいて、肩に手をかけらているかのような存在感でした。

 『エデンの東』での役どころは、うまく表現できない愛情をもてあまして粗暴な、カリフォルニアの農場の次男坊。
 父に愛されたい一心でする行動が、いつも裏目にでるばかり。そのたびに聖書の一節を引用してキツく叱責されるキャル(ジミー)の、拗ねて愁いをふくんだ表情。
 そして、溢れる悲しみの声を振り絞って男泣きする姿に、ぼくの魂はギュッと鷲づかみにされてしまったのでした。

 環境も、境遇も、時代背景(『エデンの東』の舞台は第一次世界大戦の始まった頃)も、まったくチガう、しかもボクはまだ青春時代前のほんの〈味噌っかす〉。
 にもかかわらず、なぜか…若者同士の魂の隅っこまで、不思議にガッチリ通じ合えた…気がして。
 館内の暗闇で、ぼくはウルウルする眼をもてあましていました。

 その頃、ラジオではポップス&映画音楽が流行りで、ベスト・テン番組なんかでも『エデンの東』のサントラ盤は常連曲。
 また監督のエリア・カザンが、新人俳優抜擢の名手であったことには、ぼくはあとで気がつきます。
 このあとカザン監督は、『波止場』でマーロン・ブランドを、『草原の輝き』でウォーレン・ビーティをと、新人の起用に成功しつづけました。

 なおJ・ディーンは、この作品でアカデミー主演男優賞にノミネート。

★流行語にもなった『理由なき反抗』★

 ニコラス・レイ監督の『理由なき反抗』も、『エデンの東』と同じ1955年秋。
 現状にどっぷり浸かった大人たちの世界からは理解されることなく、鬱屈した心情に揺り動かされるアメリカンな若者たちの生態を抉った、これもまるで、ヤンキーでシャイなJ・ディーンのために作られたような作品。

 この映画でも彼は、現実社会とのギャップに翻弄される若者たちの世界を、みごとなまでに赤裸々に、端的に演じきって魅せました。

 役者としてのジミ-は、アドリブでの役づくりにすぐれ。いっぽうで、そのストイックにすぎる性格から「異端児」呼ばわりされることもあったらしい。
 そもそもが彼は、アンドレジードの『背徳者』に心酔してハリウッドの映画スターを目指した(?)としながら、愛読書は『星の王子さま』という男。

 そんな、きっと天性のギャップが、彼をハリウッド世俗の渦に巻きこませなかったのでしょうし。
 若き死後〈伝説化〉の、きめてにもなったにちがいありません。

 作品名がそのまま流行語にもなった『理由なき反抗』は、同時に「チキン・レース」という、後世にまでのこる社会風俗を産み、のこしましたし。
 ロックのエルヴィス・プレスリーが熱狂的なジミ-・ファンであったことは、有名な逸話のひとつです。

 この作品でも彼は、『エデンの東』につづいてアカデミー賞にノミネートされました。

★大作映画の準主役『ジャイアンツ』★ 

 西部テキサスの大牧場を舞台に、いまも変わることない生粋アメリカンな世界を活写したジョージ・スティーヴンス監督の『ジャイアンツ』は、201分の大作。
 公開は1956年秋(日本公開はその冬)でしたが、撮影は55年秋に終えていました。

 ロック・ハドソンエリザベス・テイラー主演のこの作品では、ひねくれ者の牧童役の彼J・ディーンは助演格でしたが、宣伝ポスターでは3役そろい踏みの扱い。 
 身長170cmの小柄な彼が、やがて石油王にのしあがっていく態〔さま〕は、絵に描いたようなアメリカン・ドリーム。

 しかし、大富豪に成り上がったちょび髭のジェット・リンク(ジミー)が、みずから建設した巨大ホテルの祝賀パーティーで泥酔、挨拶に立った演壇に倒れ込む(生前最後の)シーンは、ちょっと滑稽にすぎ。
 監督のスティ-ヴンスの意にも沿わなかった(台詞も声も吹き替えられました)のは、ワカル気がしたものです。けれども

 ジミーは、この作品でも3作つづけてアカデミー(助演男優)賞にノミネート。
 しかも、死後に2度もノミネートされたのは、いまだに彼だけ……

 撮影終了1週間後の9月30日に、ジミーは愛車シルバーのポルシェでレースに向かう途中、自動車事故で死亡。
 芸歴わずか4年(主演俳優になって半年たらず)、3作連続のアカデミー賞ノミネート作品をのこして、24歳でスクリーンから永遠に去って行った青春の象徴。

 生前のジミーで、ぼくが忘れられないのは、
「車に乗っていて危険を感じるのはレース場じゃない、一般の車道だよ」
 と、カー・レースについてのインタビューこたえた言葉。

 いまでも、ドライブ中ふっと想い出すことがあって。
 ジーンズはずっとジミーも愛用した「リー」でしたし、ジミー記念モデルの革ジャンもまだ愛用しているほど。
 
  ……………

 ぼくにとって
 こんな男優、ほかには、ついにありません。