どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

昨19年初冬の霜月11月、皇居本丸に〝令和〟の「大嘗宮」を見納めた日……のこと

-No.2397-
★2020年04月14日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3323日
★延期…オリンピック東京まで → 466日
★旧暦3月22日
(月齢20.7、月出00:04、月没09:55)






◆皇居「大嘗宮」一般公開初日

 昨2019年。 
 初冬の11月21日、ぶじ〝令和〟の「大嘗〔だいじょう〕祭」をおえたあとの「大嘗宮」一般公開、初日に行ってきました。

 秘儀である大嘗祭に立ち会うことはできない庶民にとっては、祭儀のあとをたしかめながら、あれこれの考えを巡らせてみようというわけでした。

 地下鉄「二重橋前」駅の改札を出るとすぐに、誘導の係員がいて目指す方向へと導いてくれますが、それでもまごまごする地方からの上京組が少なくありません。
 順番待ちを覚悟して皇居前広場に出ると、ものものしい警備陣と交通整理のパイロン(カラーコーン)がお出迎え。
 けれども、何重にも折り返す行列は見えず、二重橋前の撮影ポイント付近に、いつも見慣れた外国人観光客たちの姿があるばかり。

 若い警官に訊ねたら、「はい、おかげさまで今日は予想外の行列なしです」とのこと。
 なにがなんでも、行列してでも…の時代ではなくなったようです。初日は混むだろう予測が、出足を鈍らせたのかも知れません。

 大手町のビル街を望む坂下門から入って、富士見櫓を巡り、東御苑を歩みながら、あらためて想います。
 洋の東西を問わず「城好き」が多いのは、歴史への憧憬もあるでしょうが…やはり究極は空間の広さです。〈ゆとり〉は気もちを慰めてくれます。








◆〝令和〟の大嘗宮は簡素な造り

 広い東御苑の中央北寄り、旧本丸に「大嘗宮」は造営されてありました。
 遠くからでも、ひと目見ただけで「神殿」とわかる造り。ぼくは、莫大な費用をかけて造るのに、仮設(事後とり壊し)はもったいない…と思ってきました、が。
 この「神殿が皇居に常時ある」心理的な影響を思うと、考え直さざるをえません。

 秋篠宮が言われるとおり、きわめて宗教色のつよい行事を思うと、「天皇家内廷費で賄い簡素化する」のがいちばんかも知れません。
 現在の「象徴天皇制」を想うとき、神もまた象徴の存在とすれば、そこから新たな時代にふさわしい行事の在り方も見えてくるのではないでしょうか。

 清水建設という民間企業(ゼネコン)に神殿を造る資格はあるのか…をぼくは考えたりもしましたが、いま現在、そこには宮大工も雇用されている(どういう待遇かは知りませんが…)ことなど、よくよく考えてみれば、すでにもう、古来の…伝統の…と言っていられる場合でもないのでしょう。
〝令和〟の仮設の「大嘗宮」をとり壊した後、使える材料はほかの用途にまわされるそうです(〝平成〟の大嘗宮は〝奉焼〟されました)。
 …といっても、まさか、いい加減な用途に使えるはずもないでしょう…が。

 つまり、「大嘗宮」といえども時代の流れには添っていかねばならないわけです。
 もう少し「たてまえ」から「げんじつ」へ、歩みをすすめるべきではないでしょうか。

〝令和〟大嘗宮は、屋根も茅葺から板葺きに変わって、重々しさより天空へと羽ばたく軽やかさを感じさせます。宗教色が濃くても、いい感じにはちがいありません。
 一部の建物をのぞくと、吹き抜けの仕組みになっているのも、風誘う気味があって、自然〔じねん〕とともに生きる、日本民族の在り方にふさわしい。

 昭和史実証研究の保坂正康さんは、女性天皇の認否を含む象徴天皇制の在り方について、「問われているのは国民だ」と指摘します。
 そのとおりで、いつまでも他人まかせにしているばかりでは恥ずかしい、とぼくも思います。
 …そんな想いにふけりながら、午後の陽が傾きはじめる大嘗宮を巡りを歩きました。

 けれども
 人々の顔は、ただただ、よろこびにあふれるばかりに見え。
 帰ったら、きっと近隣知友に吹聴するにちがいありません。
「すっきりとして、よかったわよぉ」
「あなたも見とかなきゃ、損よ」

  ……………

 あれから、わずか5ヶ月の後に、この世の変わりようを誰が予想したろうか。
 しかし、あの頃すでに、中国武漢あたりで新型コロナウイルス感染は始まっていた。
 その時点で、いまの危機を先見した専門家もいたわけで、だが、それを安易に見逃した指導者の方が圧倒的に多かったことになる。

 〝国〟とはナニか…〝国家〟とはナニか…政権とはナニか…指導者とはドウあるべき者か…そうして、民主主義国家における主権者〝国民〟とはナニか…ドウあるべきか…あらためて考えるときに来ている。
 そのうえで日本には、「天皇制」をどう考えるか…という大きなテーマもあることを、あらためて申し添えておきたい。