どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて④ /    「富岡」駅に見る…「浜通り」変貌…

-No.2387-
★2020年04月04日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3313日
★延期…オリンピック東京まで → 476日
★旧暦3月12日
(月齢10.7、月出13:30、月没02:58)



















聖火リレー…コースどりの〝怪〟

 もう古里には「帰れないから帰らない」と決めた方の、車に便乗させていただいて、富岡駅まで送ってもらった。
 おかげさまで、もう昼どきはすぎていたけれども、なんとか食事処を見つけることもできた。
 (双葉にも夜ノ森にも駅周辺に開いている店はなかった…それどころか駅に駅員さえいなかった!)。
 これが、「全線開通」した常磐線の真の姿。

 地震で破壊されたあと、追っかけ津波に攫われた「富岡」駅。
 周辺は、しばらくは瓦礫のまま放置されるしかない状況がつづいて、こころ傷むばかりだった記憶がつよくのこるところだ。
 ここ2~3年で一気に再開発が進んだいまは、以前とは風景がすっかり一変、土地人にさえ昔を想い出す縁よすががないようだった。

 それでも、駅にはショップ&カフェがオープン、駅前にはビジネスホテルが新築されるなど、「浜通り」相双地区、主邑のひとつに違いない。

 常磐線の線路は、ここ「富岡」駅(富岡町)から「浪江」駅(浪江町)までの間が、福島第一原発の爆発事故にともなう、もっとも深刻な放射能汚染区間になって「不通」が長引き。

 オリンピック・イヤーの今年3月14日に、ほとんど「無理矢理」の開通となったが、この間には、一部線路の付け替えや集中的な除染が欠かせなかったわけだし。
 全線開通のカタチとなったいまも、この区間には放射線量の高い「帰還困難区域」がのこるため、乗務員のあいだには「なにかあって電車が途中で停まるようなことがあったらどうするのか」…の不安がのこされているのだった。

 そんな不安な状況にありながら。
 ぼくが、ふしぎに思うのは、各駅の駅員の不在(双葉駅も夜ノ森駅もそうだったし、大野駅も同じ)である。〝復興の鍵〟とされる鉄道の駅がコレでいいのか!?

 まぁ…鉄道(JR東日本)側にも、それなりの理由はあるわけで。
 じつは、これが「駅集中管理=駅務自動化=無人駅=駅遠隔案内システム」というやつで、要は「自動券売機」「自動改札機」「自動精算機」などの機器によって無人化を達成する「省力システム」だ。
 …が、しかし、それでもなお「それはないだろう」想いは消えない。

 (無人駅ならローカル線にはいくらでもある)と人は言うかも知れない…が。
 このたび、やっとの思いで開通した常磐線〝最後にのこされた区間〟、はっきりフツウではない。
 つまり、ナニかあったときの、不安の相談窓口(もってきどころ)がない、のだ。マッタク!

 富岡駅には、これまで駅員が滞在したのが、いまになって不在。
 ご丁寧に、待合室に「全通以後は駅員不在」のお知らせが張り出してあった。
 くどいようだが、くわしい説明もマッタクなしにだ!

 これは…どういうことだろう?
 「鉄道は全通しましたから、もう安心ですよ」とでも言うつもりか。
 JR東日本に、深刻な被災地駅で「駅員撤退」の理由を訊ねたい。

  ……………

 ともあれ
 ショップ&カフェで遅い昼食をすませ、列車待ちの間に付近を見てまわる。
 線路の東側、かつて瓦礫の荒野だった浜伝いは、いま、重機による再整備地区に衣替え中。
 駅からは太平洋の海が驚くほどの高さに広がって見え、丈高い防潮堤が築かれたそこまでは、まだ立ち入れない。柵囲いのなかには、防風林用であろう苗木が植え並べられているばかり……

 当初予定では、26日にJヴィレッジ(楢葉ならびに広野町)からスタートすることになっていたオリンピックの聖火リレー
 「浜通り」の被災市町村を巡ることにはなっているものの、地元民に言わせれば「良いとこしか見せない」コースどりのうえに、自治体間は車で移動するだけ。

 たとえば、ここ富岡町の場合も、富岡駅を出発したら復興住宅の前を通って中学校まで…の、いわば〝復興メインストリート〟のみをリレー。夜ノ森の桜並木も、駅周辺の帰還困難区域も、〝素通り〟どころか全く通りもしない。

 それは、ほかの市町村でも同じで。
 大熊町では、新しい町役場のある大河原地区周辺のみがコースで、常磐線を通すために「帰還困難区域」が解除された「大野」駅へのバリケード通りは走らないし。
 双葉町でも、やっぱり事情は似たようなもの。

 いま、「浜通り」の常磐自動車道など主要道は、大熊・双葉両町にまたがる中間貯蔵施設(放射性廃棄物や使用済み核燃料などの仮置き場)へ、除染土の詰め込まれたフレコンバッグを運ぶ〝ダンプ街道〟の様相を呈している。

 このフレコンバッグを、地元では「トン袋」とも呼ぶが、それは、この袋が1屯もの大容量であることによる。「復興五輪」と称するからには、この「トン袋」積み置き場があちこちにのこされた、「帰還困難区域」の現状を見てほしいのが地元民たちの願いだ、が。
 (そこには新たな帰還住民はいない…という理由によるのだろう)
 それは「かなわない願い」のコースどり、になっている……