-No.2291
★2019年12月30日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3217日
★ オリンピックTOKYOまで → 207日
★旧暦12月05日
(月齢4.3、月出09:47、月没20:23)
「年の瀬」…というコトバをぼくは好まない。
ぼくは個体として、ヒトいちばい感じやすく(嗤う人もあるだろうと思うけれども…)デキているから、このコトバの「さしせまった」感がイヤなのだ。
だから「年の瀬」なる表現は、とくに意図した場合でないかぎり、これまでも使わないできたし、老齢期にふみこんだこれからは、ますます使いたくない。
かわりにはナンと「師走」を使う、ぼくは個体として性あまのじゃくでもあった。
カラッと乾いて、ビンボ-臭くもないし、真に迫った語感がスキだ。
★どうしたぃ兄弟★
…とまれ、そんなわけで。
ことしは「師走」の28日土曜日に、恒例の、高校の同期が集まる世に言う「忘年会」があった…わけだけれども。
上記の理由で、ぼくは「忘年会」の呼称を好まないので。
かわりに「祈念会」とでもしておこう。
齢をかさねるにつけ、気分とは別に自然と、祈念したい事柄がふえてくるからだ。
夕方の会合にあわせて、来年を「歩け歩けの年」と位置づけているボクは、その準備運動として、来年オリ・パラ競技会場のひとつ、先ごろ完成したばかり有明アリーナを視察、1万2000歩を達成したので、とても黙ってはいられない気分だ…が。
くわしい記事は、この〝年末年始大休暇〟明けにお約束しておくことにしよう。
…同期仲間の「祈念会」は例年どおり、和気藹々の刻〔とき〕うつろい。
だが、ひとり、店の亭主のことが気にかかる。
口開けのときには、たしかに皆を迎えて,そこに居たのだ…けれども。
「あれ、どうかしたかな?」
気がついたときには姿がなかった。
この、昔気質で知られる居酒屋の亭主(彼もまた同期のひとり)のことは、前にも何度かふれているとおり。
一本気で一徹、依怙地なところもある、池波正太郎の『鬼平犯科帳』にでも登場しそうな男は、しばらく前からときおり体調がすぐれず。そうなると顔を見せるのを嫌がる。
(そういえば、きょうもどこか気のぬけたような…)思いあたるフシがあった。
本人の気分は、「湿気〔しけ〕た面〔つら〕見せちゃ酒が不味かろう」つもりだろうが、あれこれ世話をかけてるこっちだって、義理がたたない。
…と言ったところで、塞がっちまった道は通りようもなく。
とどのつまりは同期一同、三々五々、
「よぉ、兄弟(きょうでぇ…と読んでもらいたい)、だいじょうぶかぃ」
挨拶の声を胸にしまって、それぞれの家路についたのだった…が。
★年ちかい従弟さきに逝く…★
ことはそれで仕舞い、じゃなくて。
ほろ酔いで帰った家には、訃報が待っていた。
母方の親戚中ではいちばん年嵩だった、わが姉弟にとっては、みな年下だった従弟・従妹の、なかでも年の近かった男(やつ…とあえて言っておく)が、コトワリもナシに先に逝っちまいやがった。
命を奪〔と〕っていったのは、酒毒といっていい。
いちど呑みだしたらキリのない男。それよりも、
マジメな人ばかりだった親戚内で、ボクとカレだけが、表だって親の言うことを聞けない人生をすごした。
戦地から生還した叔父さんに恵まれた子宝、その育て方、ほとんど溺愛といってよかった二人兄弟。
いまとなってみれば、いちばんの想い出は、落下傘の生地で作られたテントを背負って、奥多摩渓谷にキャンプを敢行したときのこと。
中学生になったばかりのボクが、よく連れて行ったものだと思うし、また、まだ小学生だった二人がよくついて来たものだったし、さらには、両方の親たちがよくぞ許したものでもあった。
……………
さいわい、直前に病床を見舞うことができたボクは、そのさい、ぼくなりに、かげながら別れを告げてはきたけれど。正直、なんとか年は越せそうに思っていたのだ。
それが…病状の急変であっけなく、のこされた者には、あわただしい旅立ちだった。
眠れない一夜になり、ぼくは夜中に床をぬけだして、ひっそりとカレと酒を酌み交わした……
★ ★ ★ ★ ★
以上のようなことがあって、わが家は急遽、正月を返上。
皆さまには、まにあわなかった事情をおくみとりいただいて、失礼をおゆるし願うしだいです。