-No.2277
★2019年12月16日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3203日
★ オリンピックTOKYOまで → 221日
★旧暦11月20日、更待月
(月齢19.9、月出20:36、月没10:04)
〈激甚災害〉に指定された台風19号惨禍の、心痛まだ癒えないままの10月31日未明。
起き抜けの目を〝紅蓮の炎〟が焼いた…沖縄県那覇市の「首里城」炎上。
あまりに美しすぎ、あっけなさすぎ、哀しすぎて、ことばもない間に、灰燼に帰しました。
……………
出火原因が問われたとき、ぼくは人為の過失でないことを祈らずにはいられなかった。
いまの日本で、唯一のこされたと言ってもいいくらい、ピュアな人々が息づく里山・里海の島々から、失火でその象徴が失われてほしくなかったからです。
火災の原因はいまだ特定されてはいません、けれども、電気設備から配線ショートの可能性が高い、とのこと。小さくホッとひと息つきましたが、人為の至らないところが、やっぱり多々指摘されなければなりませんでした。
ざんねんがら、ここにも〝偏見と差別〟があったことだけは、お伝えして。ほかの
(とりかえしのつかない繰り言は…よしておきましょう)
……………
「文明の発展」は「生命の劣化」とひきかえ、かぁ……
ぼくは、いま、深い喪失感の底にいます。
この春4月にはフランスのパリで、ノートルダム大聖堂が火災で消失ということがあって。
このブログでも、-No.2084-6月6日付け記事に書いています。
blog.hatena.ne.jp
そのときと、いまと、素〔もと〕の想いは一緒です。
(てんで、なっちゃねぇな…)
ぼく自身、みずからを情けなく、そう想います。
それに
他人の「自己責任」を云々するヒトが、まず自分の「自己責任」がとれているのか、いちどとっくり、考え直したほうがいい。
なるほどヒトは〈よく生きてる、かわいい生きもの〉ではあるけれど、ゲンジツは〈それだけのもの〉であることを忘れて、神(自然)ならぬヒトの身の〈ひとごと文明〉にドップリ浸かるにまかせて、〈生きる生きもの自前の智慧〉なんぞ、いつか、どっかへ、ポイ捨てちまいました。
……………
嗚呼…そういえば
あの「京アニ」の、傷ましすぎる悲劇にも、けっして忘れられてほしくはない、禍根がありました。
それは、あの、ひとつの愛すべき精神文化を育んだ箱(建物)に、〝外階段〟という非常時の逃げ道がなかったことです。
(建築の法律上は無くても違反ではない、そうですが…)
……………
やっぱり、口惜しいけど〈ナニかタリません〉でしたね。
「首里城」にしても、「ノートルダム大聖堂」にしても、「京都アニメーション」にしても、すぐに善意の寄付が殺到。眼を瞠るばかり。
いずれも、いずれ立派に再建なることでしょう…が。
その「愛」に欠けるものはなかったか?
いちど、アタマが痛くなるほど考え直してみる必要があるんじゃないでしょうか。
……………
あれから2ヶ月ほどが経って、ようやく。
あと片づけのすんだ首里城の一部が、公開されることになりました。
これから、とりくむ再建・復興の道が、「やまとんちゅう(本土人)」たちの観光目的のため…だけには、どうかならないように。
〝沖縄赤瓦〟の文化までしっかり継承したものにしてほしい、と願うばかりデス!