どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.103~ 現代はじめに耀いたスターたち          ⑤マーロン・ブランド

-No.2420
★2020年05月07日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3346日
★延期…オリンピック東京まで → 443日
★旧暦4月15日、十五夜・満月・望月
(月齢14.0、月出18:20、月没04:36)





★反抗・反骨・不屈・傲慢…すべてやってのけた大スター★

 マーロン・ブランド(1924~2004)
 ポール・ニューマン(1925~2008)
 マリリン・モンロー(1926~1962)
 スティーブ・マックイーン(1930~ 1980)
 ジェームズ・ディーン(1931~1955)
 
 ぼくの記憶に鮮明にのこる、「現代はじめに耀いたスターたち」5人の生涯を、生年順に並べると以上のようになります。

 なかで、いまの世代の人にも記憶に新しい俳優、スターといえばゴッドファーザー(72年、フランシス・フォード・コッポラ監督)のマーロン・ブランドにちがいありません。
 まったくの同世代に『タワーリング・インフェルノ』(74年、ジョン・ギラーミン監督)のポール・ニューマンもいて、2人は好敵手でしたが、やはり、なんといっても不敵な存在感ではマーロン・ブランドが勝っていました。 

 それにしても、戦前(第1次世界大戦後)の不安な世に生まれて、第2次世界大戦の戦後までの長い年月を生き抜いた2人のスター、その〝骨の太い〟生きざまには、脱帽あるのみです。

 とくにも、マーロン・ブランド
 現代の映画・演劇世界に革命的にはたらきかけ、そのインパクトのつよさから「20世紀最高の俳優」とまで、評される(ぼくの評価はまた別にありますが…)男。

  ……………

 ぼくが、スクリーンで彼と出逢ったのは『蛇皮の服を着た男』(60年、シドニー・ルメット監督)。
 ぼくは15歳、中学3年の多感な頃。

 差別と偏見と因習にとらわれて日々をやりすごす、病んで草臥れた南部の田舎町に、豪雨の夜、蛇皮の服を着た、見るからにアブナっかしい雰囲気まとった若い男が、ふらり、とやってきて…。
 予想どおり町の女たちとかかわりを深くした男は、これまでの町の空気を掻き乱し、男どもの嫉妬と非難に遭い、やがて凄惨なリンチを受けて焼け死ぬ…。
 その頃の時代を鋭くえぐる社会派ドラマであり、不条理劇でもありましたが…。

 この作品の主演、マーロン・ブランドが、少年から青年に移行しようと足掻く当時のボクに、メラメラと燃える炎の火をつけました。
「遅かったな…坊や」
 そう言われた気が、したんです。

 そうして、ぼくはそこに、異国…戦勝国アメリカの、文明社会の病んだ翳りを探り見ようとした…と思います。
 ところが、そのすぐ後、リバイバル上映で観た『波止場』(54年、エリア・カザン監督)。
 マフィアのボスに取り仕切られて、苦しむ荷役労働者たちのなかから、1人の、いまはしがない日雇い、若き元ボクサーが敢然と立ち上がる…。

 この映画で、ぼくは完全にノックアウトされました。
「遅れたな…坊や」
 こんどはハッキリと、そう言われた…と。
 そうして、「しまった…オクレた!」と、みずから実感もさせられました。

 これが
 (じつは…そうじゃなかったんだ…ということには、後になって気がつきます。歴史の時間軸のうえで、後世に登場する者には、いやでも、この〝遅れちまった感〟がつきまとうもの)
 それだけのこと、だったんですが。
 その頃の心理に大きな衝撃だったことは、いまも忘れません。

  ……………

 マーロン・ブランドが、生まれた家庭は中流ながら、揃ってドランカーで酒癖のわるい両親、しかも父親はひどい癇癪もち。
 そんな家庭環境がわざわいして、幼い頃から情緒不安定、問題児・札付きの不良として育った、すべてに反抗的な反逆児。

 …といっても、そんな境遇はけっして珍しくはなかった時代。そんななかにあって、ただの反抗にとどまらない徹頭徹尾が、ナニによって生まれ、どこから来たのか。
 人種差別を許さない言動の源がナニか。強制的に入学させられた陸軍士官学校でも貫かれた反骨精神は、とてもとても、ハンパなもんじゃなかったらしい。
 
 とまれ
 マーロン・ブランドの破格に破天荒な生きざまが、どこからきたものなのか…は、結局のところ他人には理解ができないし、それは本人にもワカラナイ謎なのではないでしょうか。

 ただ、生涯をかけて彼は、そんな育ちのわるさ、教養のなさを恥じつつも、闘いを挑みつづけました。

  ……………

 それでいて、役者としての勝負どころでは、そつなく、しかも有無をいわせずチャンスをものにした男。
 舞台デビューといっていい、ブロードウェイの欲望という名の電車(47年、エリア・カザン演出)で、準主役の粗野でセクシーな亭主を好演(…といっても、これはボク見てはいませんけれども)。

 おなじ作品の映画版『欲望という名の電車』(51年、エリア・カザン監督)でも、カッチリみごとに演じきって、世界的なスターにのぼりつめて見せました。
 
 このときのファッション(下着をラフな普段着にしてしまった)が、若者たちのあいだに〝Tシャツ文化〟として定着させたエピソードは有名ですが、これなんかも、ほとんど天才的というか、「持って生まれた星」のつよさをうかがわせます。

  ……………

 演技では、まず自分のもつ個性を活かせるデキのいい作品かどうか…を見きわめる才がある、と誰からも認められ。
 ついでに、自然でリアリスティックな「メソッド演技法」で注目されました、が。
 これについては、じつはその演技法が「はじめっから彼の持ち味・個性にピタっとはまっていた」…というか「ほかに演技の選択肢はなかった」というのが、ぼくのマーロン・ブランド評価です。 
 
  ……………

 こうして、しかし
 54年の『波止場』以降は、離れ離れになっていたマーロン・ブランドと、ぼくが再会をはたすことになったのが、(じつに18年ぶりの)72年『ゴッドファーザー

 マフィアのドン、ヴィト・コルレオーネという凄みのある役柄といい。 
 この役で選ばれたアカデミー主演男優賞を、「ハリウッドおけるインディアンをはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」を理由に、受賞拒否したこともあわせて、みごと彼の真骨頂ここに極まれり!
 (これがきっかけになってアメリカの西部劇が変わり、ついでに下火になったのも痛快でしたね…)

 それ以後の、すべては、オマケといっても過言ではないでしょう。
 たとえば、法廷ドラマ『評決』(82年、シドニー・ルメット監督)で演じた、アルコール依存症の初老の弁護士役とか。
 あるいはまた、ベトナム戦争を描いた地獄の黙示録(79年、フランシス・フォード・コッポラ監督)での、どっきり怪演ぶりとか。
 いろいろありました、けれども……
 
  ……………

 つまるところマーロン・ブランドという大スターは
 台詞おぼえも女癖もわるい、癇癪もちのトラブルメーカー、という稀代の役者魂の持ち主。
 人生の最後は、極度のストレスからくる過食症に悩まされた末に、呼吸不全と心不全によって80歳の生涯を閉じました。
 
 その一生すべてが、自身あまりにも映画的にすぎた、一代の男。
 いま、こうして連綿たる想いを綴っていても、ついに語りつくせないものがのこってしまう。
 そういうたぐいの〝劇的〟な役者でした……