-No.2249-
★2019年11月18日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3175日
★ オリンピックTOKYOまで → 249日
★旧暦10月22日
(月齢21.3、月出21:37、月没11:19)
※きょう(旧暦10月22日)は、七十二候の「金盞香(水仙の花が香る頃)」。ざんねんながら、わが家の水仙はまだ目覚めません。ちなみに「金盞」は「金の盃」で、水仙の花のこと。
◆テーマは〝洞窟〟
(こんなことがあるんだ…)あらためて
ぼくは、思わずにはいられませんでした。
購読している東京新聞掲載のシリーズ記事、『76億人の海図』(配信=共同通信)。
これは、東西冷戦から30年をすぎて不安定と不透明感を深めつつある地球に、新たな〈よりどころ〉となる海図を描こうと、模索する人々の姿を追うものですが。
9月17日(火)南アフリカ篇に「人類の起源をたどる考古学者」というのがありました。
その記事の冒頭に、
「われらの祖先はかつてアフリカ南岸で貝を食べて生きのこり、この洞窟は避難先のひとつだった」
と、アリゾナ州立大学(アメリカ)・人類起源研究所副所長カーディス・マレアン教授の言葉。
そして、インド洋を望む南アフリカ南部、ビナクルポイント岬の断崖に、ぽっかり開いた洞窟の写真が載っていたわけで。
この1枚の写真が、ぼくの脳裡に深く沁みこみました。
ぼくは高所が苦手なうえに、閉所は恐怖…ケイビング(洞窟探検)なんてとんでもない。
けれどもそれは、ひたすら地球内部を目指す暗黒探検タイプの洞窟であって、外界(それも海)に望みの開けた洞窟は、だ~い好き、なのでした。
……………
ぼくが、海にこよない慕情を抱くのは、そこに生命〔いのち〕の〈たゆたい〉を感じるからだし、海風の洞窟には不可思議な香〔かぐわ〕しさと〈ときめき〉を覚えるからです。
そうして
そう、〝貝塚〟という原始の〝生ごみ捨て場〟は、ここ雨露をしのぐ休息場所の洞窟からは、少し離れたところにあるはずでした。
……………
その〈洞窟の写真〉から半月ほどして、ぼくは、ふたたび同じ〈洞窟の情景〉に出逢います。
こんどは、同じ新聞の一面、「題字下」と呼ばれるスペースの「突き出し」広告に。
その…同じように見えて、じつは異なる別の〈洞窟〉写真には『イメージの洞窟-意識の源を探る-』展覧会から、「おいでよ」と誘いのメッセージが添えられていました。
(呼ばれているのはボクだ…)と直感しました。
ぼくには、こんなことが少なくありませんが、こんなにタイミングのいい〈呼びかけ〉は、初めて。
〈呼びかけ〉にこたえて訪れたのは、恵比寿ガーデンプレイス内、東京都写真美術館「TOP MUSEUM」2階展示室。
展覧会の意図は「意識の源を探る」。
意識やイメージは人それぞれのもので、展示内容の話しは、いうまでもなく無用なのですが。
-以下はぼくの感じたまま-
この展覧は、ぼくを〈胎内に回帰〉させました。
これまでに見てきた、意識・無意識ひっくるめた視覚情報の洞窟。
そこに、ぼくがもちこんだイメージは、しかし……
あるのか、ないのか
あったのか、なかったのか
正像か、虚像か、反転像か
(いや…それより…)ほんとは
見たのか、見なかったのか
合わせ鏡の奥の奥…意識の闇の目の眩み
見ていたのか、見てはいなかったのか
(…ただ…まちがいなく)
そこには、ぼくのイメージがポツンと、しゃがんでいました
……………
そんなふうに、展示室をそぞろ歩きながら。じつは
ぼくは、ずっと、ひとつのことを考えていました。
いまを生きる人類(ホモ・サピエンス)って、いったい、なに……
どこから来て、どこへ行こうとしているのか……
新聞記事『76億人の海図』のなかで、「人類の起源をたどる考古学者」C・マレアン教授は、さまざまな考察をくわえたうえで、こう推察します。
「ここ(アフリカ大陸南端の岬近辺)が人類の原点と信じる。もっとも得やすい食糧源(貝など海の幸)も基に、生きる智慧と道具を発展させたホモ・サピエンスは、やがてアフリカを出て、ユーラシア大陸のネアンデルタール人など旧人を滅ぼいしていったのだろう」と。
そうして、結局
「必要な資源を得るために自身と異なる人を〈他者〉と見なして、排除する性質もホモ・サピエンス生来のもの。したがって、地上でもっとも戦闘的かつ侵略的な種であったホモ・サピエンスが、それでも文明化を進めるためには戦いをやめてきたことの方が、進化における予想外の結果だった」
という。(う~む、そうかぁ…)
ぼくは、ナットクするとか、しないとか、とは次元の異なる、人類の来歴の重さに、沈潜する想いばかりが深いのでした。
ところで、いっぽう
松本武彦さん(国立歴史民俗博物館教授)の「人はなぜ戦うのか」の論考によれば。
「世界的に農耕が始まると、人は戦いはじめた」
ということになります。
つまり、
「弥生時代、農耕によって作物の収穫が豊かになると、富が生まれ、土地の支配が生まれて、その支配のための武力が権力を生んでいった。それ以前の縄文時代には、余分の、富につながるほど穫(獲)れる食糧がなかったので戦う必要もなかった」
ぼくは、この考えになら、ナットクできていたのでしたが。
なかなかどうして…人類ってのも、一筋縄ではいかない存在らしい。
いずれにしても
「人類が、その戦闘的かつ侵略的な性質を克服するには、文化とか教養とかが不可欠で、つまるところカギになるのは貧富の差の解消」
それができなかったときの人類の未来は
「弱肉強食の末に、(SFに描かれるような)絶望的な専制の世界になるのかも知れない」
というわけです。
……………
『イメージの洞窟』から出て、嗅ぐ外の空気。
恵比寿ガーデンプレイス界隈の風景は、あっけらかんと明るいばかりでしたけれども……
※東京都写真美術館「TOP MUSEUM」の『イメージの洞窟-意識の源を探る-』は、11月24日まで。