-No.2182-
★2018年09月12日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3108日
★ オリンピックTOKYOまで → 316日
★旧暦8月14日、待宵月・小望月
(月齢13.1、月出17:13、月没03:09)
★ピーター・フォンダが亡くなった★
それは、奇しくも、ぼくが74歳の誕生日を迎えた8月16日。
享年79。
死因は、肺がんによる呼吸不全であった、という。
(あぁ…)と、ぼくは太い息を漏らした。
亡くなっていく、ぼくとなんらかの関わりのある人には、みな、それなりの感慨があるわけだ、が。
彼、ピーターの場合は、〈相棒〉あるいは〈兄貴〉。
同時代の空気を吸った、そう…まさしく「よう青春!」仲間であった。
『イージー☆ライダー』は、1969年アメリカ公開(日本公開は翌70年)。
このアメリカン・ニューシネマの代表作は、〈衝撃作〉でもあった。
ピーター・フォンダ制作、デニス・ホッパー監督で、2人が共演もした映画には、後に『カッコーの巣の上で』でアカデミー賞、主演男優賞に輝くジャック・ニコルソンも脇役で参加している。
……………
映画は上映時間94分と短めだった、けれども、ぜ~んぜんフツウじゃなかった。
物語も、若者らしいボヘミアンなロードムービーもので、密輸で大金持になった2人の男(ピーターとデニス)が、金をバイクのタンクに隠して、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)のあるニューオーリンズへ旅をする、途中での事件をきっかけに、意気投合した弁護士(ジャック)がこれに加わる。
…と、まぁ、お話しとしては、そんなもん、なんですが。
彼らの跨ってる、バイクが「凄ぇ!」
1765年型のハ-レー・ダビッドソン、パンヘッド・タイプのエンジンは排気量1200ccで。
フレームはフルメッキのフルカスタム仕様。タンクとメットの塗装は星条旗……という。
ピーターの〝チョッパー〟なんぞは、とくに記念碑的な名品といえた。
じつは、その頃、ぼくは、大型バイクに憧れており。
それもインディアン・ハーレーという、まるで〝馬に跨ったような〟バイクに乗るのが夢。
ぼくの股下サイズおよび膂力で、大型バイクに跨れるか、の課題に向きあっていたのだ…けれども。
『イージー☆ライダー』のバイクは、それさえも軽く一蹴してしまって…もう、笑うしかなかった。
……………
ヒッチハイクのヒッピーをひろって、彼らのコミューンに立ち寄ったり、キャンプファイアを囲んでマリファナを吸ったり、彼らは自由を謳歌する気ままな旅人だったが。
やはり、アウトサイダーであり、いわゆる「市民社会」からは警戒・忌避される存在。
かつての〈移民〉たち、〈開拓魂〉の人たちも、いまは獲得した豊かな市民生活を〈保守〉したい立場。
自分たちの日常を脅かすような〈変わり者〉は邪魔でしかなく。
彼らが、遭遇することになった衝撃的な結末は、(想えば…)いまのアメリカ社会を彷彿とさせる、殺伐とした酷〔むご〕い現実であった……
……………
この時代は、ベトナム戦争が泥沼化のきざしを見せ。
ウッドストック・フェスティバル(愛と自由をテーマにした3日間にわたる野外音楽コンサート、ことしはフェスティバルから50年になる……)に沸き。
映画では、この『イージー☆ライダー』と、学生たちの抗議活動と青春を描いた『いちご白書』(1970)、世界恐慌時代の銀行強盗〝ボニー&クライド〟を描いた『俺たちに明日はない』(1967)が、アメリカン・ニューシネマの人気作として記憶される。
なお、『イージー☆ライダー』はその年のアカデミー賞、助演男優賞と脚本賞にノミネートされたけれども、受賞はのがしている。
その後、ピーターは1997年『木洩れ日の中で』で、ゴールデングローブ賞、 主演男優賞 (ドラマ部門) を受賞。アカデミー主演男優賞にもノミネートされたが、受賞をのがし。
そのとき、フォンダを破ってオスカーを手にしたのは、あの『イージー・ライダー』時代からの旧友ジャック・ニコルソン(『恋愛小説家』)であった。
また、この映画のエンディング・テーマ曲には、最初ボブ・ディランの『イッツ・オールライト・マ』が予定されていた。
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1970年(昭和45)は、ぼく25歳。
気分は、ばっちりヒッピーだったが、〈ヒッピー・スタイル〉は、てんで似合わず!
3月31日に、 日本航空機よど号ハイジャック事件が発生し。
11月25日には、 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自決(三島事件)を遂げ。
その頃の巷には、藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』や、ちあきなおみ『四つのお願い』、サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』などの曲が、流れていた……