-No.2180-
★2018年09月10日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3106日
★ オリンピックTOKYOまで → 318日
★旧暦8月12日
(月齢11.1、月出16:00、月没01:18)
◆「はぃ、NHKさんは、こちら」
渋谷区役所の、通りひとつ挟んだ向かいは、NHK。
いうまでもない渋谷は、〈NHKの街〉の側面をもつ。
通りからは、NHKホールの 建物が見える。
ぼくは、(NHKは安泰か…!?)と、懐疑的に想う。
こんどの参院選では、「N国党」(NHKから国民を守る党)が山本太郎ひきいる「令和新選組」とともに支持を集め、当選者を出したうえに、揃って政党要件を充たして〝諸派〟から脱してみせた。
「N国党」の主張は、NHKの〈スクランブル放送化〉。
つまり、「観たい者だけに有料で配信すべきだ」という。
このことに、ぼくには、ひとつの感慨があった。
ぼくも、もうずいぶん前のことになるが、じつはNHK受信料の不払いに挑んだ時期がある。
〈選択視聴制〉にすべき、ということでは、同じで。
少なくとも、「それなら観たくない」選択の余地が、国民になければならない、ということだった。
2000年の前後に、NHKでは不祥事の数々があったわけだが……
ぼく個人にも、〝NHK体質〟を見せつけられる体験が、いくつか重なってあった。
…………
ひとつは、あるチャレンジ旅の途中でNHKの番組から出演の依頼があり、これが移動中の九州から東京のスタジオへ来てくれないか…という、乱暴すぎる話しで。
まだ若かったボクは、(ジョウーダンでしょ!)即座にお断りしたのであった。
また、お祭り好きなボクは、各地の祭礼を取材して歩いた時期があるのだ、けれども。
その、いくつかの場面で、「NHKさんは、こちらへ、どうぞ」と、主催者から特別席をあたえられるのが、唯一の、公共(国)の、全国放送網を握るNHK取材陣なのであった。
そんなふうに、あからさまに媚びる主催者側にも腹が立ったが、そもそも、NHKにそっぽを向かれては成り立たない事情がワカッテみると、政府(総務省)の外郭団体、特殊法人の権威を背にした傲慢がイヤラシかった。
(とくに中央からは遠い)地方での、NHKの存在は、ほとんど自衛隊と同等…といってもいいくらいなのであった。
ほかにも、まだあるが……
要は、そんな体質をいまだに秘めるNHK、ということ。
それゆえ、抵抗をこころみたNHK受信料不払い。
その頃、受信料は集金人が集めに来て、支払い拒否をする家は、ベテランの担当になり。
ずいぶん、ねちねちとシツコイ攻勢があったことを覚えている。
結局は、4~5年でいったん〈矛〔ほこ〕をおさめ〉たわけだが、そのワケは、集金人の対応にボクが専念できるわけだはなかったことによる。
亡くなった母や、かみさんに、このイヤな役目はさせられなかった。
「だって、観るでしょ」には勝てなかったし、「映るから観てるだけサ」は理由として脆弱にすぎる。
…………
NHKホールには、この冬。NHKらしい催し
第19回『地域伝統芸能まつり』を観に行き、「盛岡さんさ踊り」(岩手県)や「花輪ばやし」(秋田県鹿角市)、「早稲谷鹿踊」(宮城県気仙沼市)や「長崎くんち龍踊」などを観てきた。
応募に当たっての観覧は、これで2度目。
同じく、これぞNHKの
「紅白歌合戦」の応募には、まだ一度も当たっていない。
いまNHKでは、公開番組などへの応募を「視聴料を払ってくださっている方」にかぎっており…つまり、それだけの不払い者が、まだ相当数あることを物語る。
NHKという公共放送は、〝国営放送〟でこそない…けれど。
いくら「N国党」がガンバっても、「ぶっつぶ」されることはないだろう。
政権にとっても、唯一全国区を縄張る公共放送の魅力は手放せない。
「不偏不党」に見せかけながらの、政権寄り放送はこれからもつづくだろう。
しかし、時代のうごきは〝安泰〟を許しそうもない。
テレビという媒体そのものが、存続の危機に立たされている事実にはキビシいものがあるし。
他のメディアもふくめて、ジャーナリズムがいかに生きのこるか…は、もっとキビシいゲンジツに直面している……
NHK放送センターの敷地の、すぐ右には、国立代々木競技場。
その向こうには、代々木公園から明治神宮の森にかけての広大な緑地が、ついに来年にせまったオリ・パラ競技会の開催を待っていた……
勝負どこです「NHKさん」!