-No.2224-
★2019年10月24日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3150日
★ オリンピックTOKYOまで → 274日
★旧暦9月26日、有明の月
(月齢25.7、月出00:55、月没14:46)
※きょうは、七十二候の「霜始降(霜が降り始める頃)」。災害台風19号去って…一気に秋深まって…はや暖房の季節に!
いうまでもなく、読むつもりで買った文庫本でしたが、その場面にいたると目の暗む想いに襲われ、ついに、それよりさきへは活字を追えなくなって、読了をあきらめました。
その途切れたページに栞を挟んで……書棚へ。
中学生になったばかりの、まだ文学らしい文学と出逢ったばかりの頃のことです。
本の内容がボクの思いとちがって、途中で読むのをやめることはあっても、そんな、思いがけないできごとは初めてでした。そうです、事故に遭ったようなものでした。
それから、その本は、どれくらい時を書棚に眠っていたことか。
その間に、ぼくは、ほかの本をいろいろ読んで、つまり読書経験をつんで。
ようやく、書棚のその本に、ふたたび手がのびたのは、どれくらい経ってだったか。
少なくとも、季節ひとつはかわっていたと思います。
その本が、森鴎外の『高瀬舟』でした。
短編で、文庫にしても、ごく薄い一冊。
高瀬舟というのは、木造りの平底の小舟で、江戸時代には各地の河川で貨客を運んでいたもの。
舞台は、京都、高瀬川。
この頃、京都町奉行では遠島を申し付けられた罪人を大坂へ、同心が付き添って護送するのに、高瀬舟を使っていました。
遠島になる罪人というのは、結果ひと殺しのような大罪を犯していても、いわゆる根っからの大悪人ではなかった、といいます。
それは、ある日、あるときの高瀬舟。
遠島になった咎人〔とがにん〕は、弟を殺したという30くらいの喜助という男。極く貧しく暮らす者です。
付き添う同心は、羽田庄兵衞。
世の中の仕組みを心得た同心の目に、喜助という男…最下級に暮らす身分でありながら、てんから欲というものがない、みずからの罪(弟殺し)が自殺幇助であるのに認められない裁きを恨むでもなく、淡々とした心境にある若い男が、どうにも不思議でならない。
こんな喜助という若い男の在り方に、興味をいだいた庄兵衛は、語りかけ、あれこれの経緯〔いきさつ〕語りを聞くうちに、やがて、これまでに見聞した世の仕組みとはまた別趣の、細かな綾、深いことわりに思いいたる…というお話し。
ぼくが、ついに読了できなくなったワケは、まさにその、自殺幇助(弟殺し)の場面にありました。
トラウマは、文学や芸術からもうけます。作品に非のないことは言うまでもありませんが……
その頃のぼく、じつは…〈遠い声〉そのままの耳鳴りが原因で悩まされていた少年時代の〝おねしょ(夜尿症)〟から、ようやく解放されたと思ったら、こんどは、ナンの前ぶれもなく不意に忍び寄った〈死の予感〉に、だれに相談もできずに脅かされていたのでした。
それが……
半世紀余のときを経て、ふと、若き日の遠い想い出を懐かしむ気にさせらたのが、『高瀬舟』の映画化作品との出逢い(もちろん一度も観たことはありません)でした。
映画『高瀬舟』は1988年(昭和63)、工藤栄一監督、前田吟が同心羽田庄兵衞を演じ(いい役どころでした)、語りは市原悦子。
映画も、原作の短編にひとしくごく短いものでしたが、丹念な描写の、いいデキの作品になっていました。
もちろん、齢74の爺さんに、さすがに、もうトラウマはありませんでした……
(いうまでもなく、けして〝卒業〟したわけじゃない、歳月によるこれもある種の〝摩耗〟、でしょうか)