-No.2175-
★2018年09月05日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3101日
★ オリンピックTOKYOまで → 323日
★旧暦8月7日、弓張月
(月齢6.1、月出11:29、月没22:05)
◆「ブレイルノイエ」
ぼくが、〈中度の難聴〉という診断をうけ、〈補聴器〉を使う身であることは、すでに何度か、このブログでもふれてきた。
ぼくは、また、いまふつうに使われている〈健常者〉というコトバに疑問を抱く者で、ナニをもって健常(障害なく健康な人)とするのか、ドコから健常者と認められるものなのか…。
そもそも、はたしてボクは健常者といえるのか…も、悩ましい。
それが、〈難聴〉と診断され、障害者手帳は持たないまでも〈健常〉とはいえない、宣告をうけると。なにやらホッとする反面、同時に一抹の無聊〔ぶりょう〕を味わうことになった。
それは、他者から(よくはワカラナイけど、ふつうじゃないみたいよ)という目で見られることであり。
また、じぶんがふつうだと思っている人たちからは(理解されない立場にある)ことを、思い知らされることでもあった。
なぜなら、つい、いましがたまで、ぼく自身が(理解しない側の立場)にあったからである。
〈理解の壁〉について、ひとつ、忘れられない印象がある。
……………
視覚障害者にとって重要な情報源である〈点字〉。
分厚い〈点字本〉のページを開いて、ぼくは〈茫然〉とするしかなかった。
それは、ぼくには判読できないもので、まったくトリツクシマモナイ。
それが(あたりまえ)か?
立場の違う者が、同時に情報を共有できない。
そこから、〈無理解〉と〈差別〉が芽吹くんじゃないのか。
それは小学校、高学年の頃だったろうか。
〈点字翻訳〉の用具と、その仕事ぶりも見せてもらった。
たいせつな〈橋渡し〉にはチガイない、けれども、無性にムナシイ気がした。
点字をだれでも読むことができるものになれば、障害を超えたコミュニケーションが生まれるのではないか。
(ザンネンながら、そのときのボクの思考は、その域を超えなたった)
……………
そんな期待に応えようとするプロジェクトが、ようやく始まった。
「ブレイルノイエ」は「目でも読める点字」。
発明したのは、大手広告代理店につとめるデザイナー、高橋浩介さん(25)。
(そうか、デザイナー発想か!…であった)
「ブレイル」は英語で「点字」、「ノイエ」はもっとも明瞭で標準的な欧文書体「ヘルベチカ・ノイエ」からきている。言われてみると「ヘルベチカ」という書体は、こういう表現にもっとも向いている。
高橋さんの場合も、視覚障害者が点字を読む場面に出逢い、「でも自分には読めない」ことに気づいて。
そこから、発想が〈点字と文字の一体化〉に向かったところが素晴らしい。
さっそく、ネットで検索して見て、キホンはのみこめた。
が、ゲンジツ場面ではどうなるのか…ジッカンしておきたい。
そこで、いちはやくコレをとりいれた、渋谷区役所(1月開所したばりの新庁舎)を訪ねてみた。
それは、2階「福祉手続き・相談のフロア」、エレベーターホールにあり。
ごく、あたりまえに、その場の風景にとけこんでいるのが、よかった。
黒数字の「2」に、〈点字〉表現の「緑の点が2つ」。
トイレの案内板には、カタカナの「ヨーシキ」「テアライ」に、それぞれの点字がうたれ。
エレベーターや階段の手すりも、同様。
このプロジェクトの説明文も、しっくり馴染んでいた。
「読めなくていい、という、自分たちの考え方をかえたい」
高橋さんの姿勢も、ヨカッタ。
上掲の文字表は、「Braill Neue Project」のホームページbrailleneue.com
から拝借した。