-No.2110-
★2018年07月02日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3036日
★ オリンピックTOKYOまで → 388日
★旧暦5月30日
(月齢28.7、月出03:43、月没18:27)
※きょうは、七十二侯の「半夏生(ハンゲショウ=別名片白草・ドクダミ科=が生ずる頃)」。夏至から11日目で、梅雨が明け、田植えもそろそろ終える頃、といわれる。いま日本列島は梅雨の真っ最中……
◆気分は…ひとあし早い復興
仙台伊達藩の縁で、東日本大震災の津波被害地、亘理町のイチゴ農家に、北海道伊達市から支援の声がかかり、厚遇条件で移住生産することになったことは、当時の世相に明るい話題を提供した。
以来、ぼくたち被災地東北巡礼コースの訪問地にも、北海道伊達市が加えられて来ている。
……………
このたび、青森県下北半島大間で、胆振東部地震の揺れに遭遇したボクたちが、まず心配したのは、この人たちのことだった。二重の被害があってはならない。
ニュースの報道などで、伊達市内にはさほどの被害がなかったらしいことを知り、ひと安心しての訪問だった。
ちなみに噴火湾岸の伊達市は、ぼくたちが宿泊していた下北半島大間と、胆振東部地震の震源に近い厚真町から、ほぼ同じくらいの距離(200余km)にあった。
西の伊達市と東の厚真町という違いはあっても、同じ胆振支庁に属する。いつも痛感する…〝北の大地〟はスケールがちがう。
……………
有珠山・昭和新山を間近に仰ぐ、いちごハウスは健在。
地震の影響で給水ポンプが一時、動かなくなったものの、非常用電源のカバーがあったおかげで乗りきれたという。
そこで…
この記事タイトル「仙台いちご伊達支所」という表現は、いうまでもないジョークにすぎない。
現在、ここ伊達に移住生産する〈いちご農家〉は4家族、〈支所〉といえるほどの規模でもない。
ただ、昨年あたりから感ずる農家の人たちの〈落ち着き〉が、故郷のそれに比べて〈ひとあし早い復興〉を想わせる…ことはたしかで。農家の人たちの表情も明るい。
すぐ目につく範囲に、地震&津波被害を思い起こさせるものがない…だけでもチガウのだろう。
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あれから8年の、時の移ろいはある。
移住生産者、最高齢で「帰りたい」が口癖だったS・Aさんは、昨年、他界されている。
一方で
伊達に来て、当地の娘さんと結婚したO・Sさんには、早くも3人目の女子が誕生。
また、亘理町での青年期サーファーであったM・Hさん。移住してきた当時まだ赤ちゃんだった娘もいまは小学生。自身にもスキーをたのしむゆとりがもててきている。
かれらの将来の見こみ
伊達に新天地を望む者と、亘理町に帰京を望む者と、半々。
……………
かれら、亘理町いちご農家に移住生産を呼びかけた当時の農務課長で、定年後も総務課に嘱託でのこったM・Tさんは、このたびの胆振東部地震の被災地厚真町への支援出動の準備に忙しかった。
この方も、有珠山噴火(1977年)以降は災害対策・復興と縁つづき、ことしの〈旧交をあたためる一献〉は次回に持ち越し。