-No.2102-
★2018年06月24日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3028日
★ オリンピックTOKYOまで → 396日
★旧暦5月22日
(月齢20.7、月出23:38、月没10:26)
※先週の土曜日、6月22日は二十四節気の「夏至(もっとも昼長く、夜短い)」で、七十二候の「乃東枯(夏枯草が枯れる頃)」。「夏至」の方はまぁ…どっちが正面スタンドで、どっちがバックスタンドかは知らないけれども、対面に「冬至」を望む一年のちょうど半分、折り返し。これはワカル。が、「夏枯草(かごそう=ウツボグサ)」の方は、聞いたこともなければ見たこともなし…あいすまない、けれども、てんで見当もつきません。シソ科の薬草だそうですが…くわしいことが知れたら、また、ご報告しましょう。
※翌くる23日(日)は激烈な沖縄戦争が終結、多数の死者をだした「沖縄平和の日」。〈終戦の子〉のボクにとっては(毎年のことながら)、鬱陶しくも、理不尽な、2ヶ月ほどの夏が、またはじまる。
新聞の経済欄の片隅に、こんなタイトルの小記事が載った。
改元さわぎの前の、4月初旬のことだった。
ベトナムのハノイ発。
当地では、プラスチックごみを減らす対策に、一部スーパー(ベトナム「コープマート」ほか)で、ワケギやオクラなど野菜の包装に、バナナの皮をつかいはじめて、話題になっており。
「きれいなバナナの葉に包まれているとカワイくて、購買意欲をそそられるわ」…と、消費者に好評。
このうごきを政府も〈後押し〉している、という。
-ちょっと、イイ話し-
(日本でも、やっとスーパーなどのレジ袋に有料化のうごき。カナダでは、さらに一歩さきをいくプラスチック包装材廃止にむかっている…おりから)
……………
ぼくも、青春時代の宝島(吐噶喇〔とから〕列島の最南端、奄美大島の手前)行で、島の青年団「パパイヤ会」(じつは、なかなかパパにはなれない…境遇を訴えている)と別れの酒宴のとき、月夜のサンゴの砂浜に、皿がわりに敷かれたのが島バナナ(実は短くて小さい)の葉。
この上に、彼らが素潜りで獲ってきてくれた南の海の幸が豪快に盛られた〝天国の贅沢〟を、いまも想いだすたびに、つい涙ぐむほどだ。
バナナの艶やかでおおらかな葉には、実と似かよった香りがある。
アフリカ・アジア・南米などで皿の代わりにするほか、パプア・ニューギニアの葉で包んだ蒸し焼き料理「ムームー」など、調理にも利用されている。
……………
実のほかの植物利用。
ふと、振り返ってみれば、これまでにもアレやコレやあったし、いまだに健在でもある。
たとえば、ぼくら子どもの頃までは。
「おにぎり(にぎり飯)」を竹の皮に包むのが、ふつうのことであり、母が弁当に持たせてくれたのも、山の宿で用意してくれるも、竹皮包みだった。
ほかにも「柿の葉寿司」があるし、「粽〔ちまき〕」はいまも笹の葉にくるまれている。
ただ、いずれも〈ふだん使い〉ではなく、いまはもっぱら〈もてなし使い〉。
そこで、考えてみると。
「つつむ」とか「くるむ」とか(どちらも漢字で表現すると〝包む〟になる)、コレ見よがしではない、ぬくもりを感じさせる行為、というのが、〈絶え・滅び〉かけている。
かつては、包み紙がそれぞれのデパートの<顔>であり、どんなものでも一枚でみごとに包みあげる、包装のスペシャリストがいたものだった。
祝い酒の一升瓶であろうと、バスケット・ボールであろうと、折り目うつくしく包み上げて、仕上げはシ-ル一枚でみごとに留めて見せた。
それがいまや、贈答の包装もアヤシイものになり、シール一枚留めもいまや見る影もない、セロテープのベタベタ貼りである。
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「包む」…で、もうひとつ思い出すのは、芭蕉布のカラリ、サラッとした肌合いだ。
薄くて、軽くて、張りがあって、やわらかな感触。
高温多湿な日本の夏は、汗とどうつきあっていくか、でキマル…といってもいい。
ただでさえ暑苦しいときに、汗臭いのはかなわない、サッパリいきたい。
沖縄で、原料になるイトバショウの葉と、芭蕉布の製品を手にとったとき、その品がかつて琉球士族の正装用であったことを、コックリ頷かせてくれた。
バナナの葉もそうだが、緑あざやかにもかかわらず少しも嫌味がなく、瑞々しくありながらジトジトしたところがない。
あらためて見くらべるまでもない…バナナはバショウ科の植物。
バショウ(芭蕉)は、英名「ジャパニーズ・バナナ」である。
大きな葉は、幅50センチくらい、長さは1~1.5メートルもある。
実もバナナ様のものが生〔な〕ることは生〔な〕る…が、食用にはあまり向かず(だからバナナには〝実芭蕉〟の名もある)、主に葉を鑑賞用にする。
熱帯の植物と思われがちで、じじつ熱帯に多いが、耐寒性もあって、日本の場合、関東以南なら路地植えもできる。
バナナも、日本での栽培(ただし高値の高級品ではあるが…)が定着してきている。
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俳人、松尾芭蕉。
江戸住まいの折の芭蕉庵(文京区関口)は、神田上水改修工事のときの水番屋あと。
つまり、水環境に恵まれていたのであろう、庭に芭蕉がみごとな緑葉を広げていたらしい。
それが、よほど気に入っての、俳号「芭蕉」であり、住まいの「芭蕉庵」であったにちがいない。
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バナナの実の重要なことは、いうまでもなく、いまや「果実」というより「主要食品」のひとつ。
なにしろ、生食用・料理用あわせた総生産量は、世界で年間1.5億トンにものぼる、という。
葉は、前記、包装用・織布用のほか、屋根材にもなり、木も香りのいい用材になる。
〝トロピカル〟ムードに流されることのない、広汎な有用性をもっと認識すべき植物である!
しかも、馴染みもけっして薄くはないのダ……