-No.2098-
★2018年06月20日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3024日
★ オリンピックTOKYOまで → 400日
★旧暦5月18日、居待月
(月齢16.7、月出21:23、月没06:43)
★尾瀬ヶ原人気に火をつけた『夏の思い出』★
かみさんに、シャクナゲの鉢植えをプレゼントした。
べつに、誕生日の祝いではない。
ぼくのプレゼントは、アボリジニー式。
誕生日とかの、きまった日に祝うのではなく、その人の人生のときどきに、祝うか、礼意をしめすか、励ますか、の気もちをあらわす。
ただ、たまたま、誕生月の春にプレゼントごころ、を誘われた。
かみさんは、シャクナゲが好き。
格別という意識はないようだ けれど 花の季節になると、かならず想いで話しになる。
シャクナゲのおおぶりな花は、よく「派手な」と表現されるけれど、それはこの花のジツと、ちと趣きがことなる。
シャクナゲの花は、なるほど「派手やか」ではあるけれど、そのありようは、周囲の環境をこころえでもしたかのように、いつだって「おとなしやか」に気品をただよわせる。
家の庭にもかつて、紅い花色のシャクナゲがあった。
植木屋がもってきてくれたもので、根株の下にしっかり天然の石を抱いていた。
そのせいか育ちがおそく、つつましく、石の外へはなかなか根を伸ばさないですごし。
いまの町田に引っ越してきたときにも、一緒に移り住んだ…のだが、土があわなかったものか、大きくは育たないままに枯れて……
そんなシャクナゲを愛〔お〕しむ気分が、ぼくにプレゼントの気をおこさせたのかも知れない。
ぼくも、シャクナゲが好きであった。
ぼくにとってのシャクナゲは、山路の花。
とくに、どこの山…という記憶はないが。
そのじつ、(初夏よりも早い)まだ浅い春の山行に、なくてはならない花だった。
涼気(半日影)を好むシャクナゲは、亜寒帯から熱帯の高山帯にまで分布。
ヒマラヤにも多く見られるそうな。
(根っこに石を抱くことも少なくない…らしい)
……………
シャクナゲに呼び覚まされる、歌は『夏の思い出』。
〽夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
…で始まる曲は、江間章子作詞・中田喜直作曲とまで、いまも記憶に鮮明なくらい。
こんど、あらためて調べてみたら、この歌の登場は1949年(昭和24年)。
NHKラジオの番組『ラジオ歌謡』で、石井好子が歌って。
またたく間に民衆のこころをとらえ、その後の<尾瀬>人気を飛躍させることになった…と。
なるほど、まさに、そんな時世だったけれど。
ぼくは、その頃、まだ4つ。ふしぎはない…にしても曲に親しむには、ちと早い。
その後、『夏の思い出』は1962年(昭和37)の夏になって、同じNHKの『みんなのうた』で紹介されて、ふたたび波にのった。歌は、高木淑子とヴォーチェ・アンジェリカ。
(このときだな!)まちがいない。
姉が、胸の前に手を組んで、歌曲歌手風に歌った姿を想いだす。
いまの人には、信じられないかも知れない…が。
敗戦後すぐの、あの頃。国民がこぞって、新たな世に夢を託せるものを欲していた。
唄でそれに応えた、戦後最初のヒット・ソングは、ボクが産まれたばかりの1945年(昭和20=『夏の思い出』の4年前)。
『リンゴの唄』サトウハチロー作詞、万城目正作曲、並木路子唄。
〽赤いリンゴに くちびる寄せて
だまって見ている 青い空
…で一世を風靡。
そのながれの先に、天才少女「美空ひばり」の登場があった。
(ちなみに、この唄の場合。作詞されたのは、じつは、まだ戦中のことで。その当時は<軟弱すぎる>という理由で検閲不許可になっていた…)
まさしく、ときの流れが変われば、風の流れも変わる!
……………
さて、そこで、もういちど『夏の思い出』。
この歌には、2つの花が彩りを添える。
水芭蕉(ミズバショウ)と、シャクナゲ。
作詞の江間は、岩手山麓(岩手県八幡平市)に幼少期をすごし、そこにもミズバショウが咲いていた。
後年、訪れた尾瀬ヶ原で、高原一面に咲き乱れるミズバショウに「夢心地」だっと、といわれる。
それは、よくワカルのだ。
ぼくも岩手山麓ほか、東北・北海道の各地にミズバショウの花を見てきた…けれど。
それは、林間や湿地を縫う小流れの畔が多くて、尾瀬ヶ原のように空にむかって展けてはいなかった。
もうひとつ
ミズバショウは、北国では「べこのした(牛の舌)」と呼ばれていた。
北海道産の、うちのかみさんにも、こんな証言がある。
「こっちに来て、ミズバショウって言われて、まぁどんなにステキな花かしらと思っていたら…。えっ!…なぁんだぁ、ベコノシタのことだったんだ!…ねぇ」
水芭蕉のスッキリと白い花が「夢見て咲いている」のは、やっぱり尾瀬ヶ原だからこそのこと、といっていいのだ。北国の「べこのした」は、またべつの環境にあって愛らしい……
もうひとつ
〽石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
…と歌われた、江間の詞に、ぼくはずっと、こころうばわれていた者で。
夕焼ける空を、眺めるたびに、そこに(しゃくなげ色…)を追いもとめてきたのである、けれども。
いま古希70をすぎて、断言できる。
「ざんねんながら夕焼けにシャクナゲ色なんかない…夕焼けには夕焼け色があるばかり」だ。
ちなみに
作曲の中田喜直も、この曲を作った頃には、尾瀬ヶ原はまだ見たこともない高原であった…という。
それでも、いい作品は、生まれるべくして生まれる。
いま、わが家の、ふちに淡い紅色さした白いシャクナゲは。
直射日光を避けた軒下にたたずんで、梅雨空をだまって見上げている……