-No.2084-
★2018年06月06日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3010日
★ オリンピックTOKYOまで → 414日
★旧暦5月4日
(月齢3.1、月出06:54、月没21:39)
※きょう6日は、二十四節気の「芒種(イネ・ムギ・トウモロコシなどの種を蒔く頃)」で、また同時に、七十二候の「蟷螂生(カマキリが生まれる頃)」。うちでは…まだ…ちっちゃなクモの仔が、糸のさきで風に吹かれているばかりです、が。実生の植物は、もうすっかり、芽を出してスクスク伸び盛り。空は、もうじき梅雨入りの気配デス。
◆フランス現地時間4月15日夕、発火・炎上
パリの〝ハート〟、ユネスコの世界文化遺産でもあるノートルダム大聖堂(その姿から〝白い貴婦人〟とも称されるローマ・カソリック寺院=最終的な竣工は1345年)が、大規模火災。
高さ93mの尖塔をふくむ屋根の3分の2を焼失しました。
(えっ…あの石造りの建築が……)
ぼくも最初は素朴にそう想い、愕然。
けれどもすぐに(そうか…〝木骨〟か……)足もとを掬われた感じでした。
<木造>は、いうまでもありませんが、石造・コンクリート造であっても<木の骨組み=木骨>は建築史上ありつづけ、いまもあります。鉄骨にくらべ、細部や仕上げを繊細に表現できる特長があるからです。
……………
ぼくがパリを訪れたのは、いまから37年も前の1982年。
いちばんの驚きは、街や自然のもつ乾いた色気。
(この色あいは湿り気で潤うニッポンにはない!)
持ち帰ったカラーフィルムを現像して再確認、油絵の乾性油というのが理解できたように思えました。
ルーブル美術館の、膨大な作品群にもまして、館内の空気にここちよい熟成を感じました。
そうして、きわめつけがステンドグラス。
このときは、ロアール地方の古城めぐりなどもして、ステンドグラス文化も満喫したのですが、なんといっても圧倒的だったのが、ノートルダム大聖堂の<ス テ ン ド グ ラ ス>。
なかでも<ばら窓>(写真、右上)のそれは圧巻…唖然…茫然……
……………
(あのステンドグラスはどうしたろう)
現場の目撃映像によると、どうやら大損壊はまぬがれたように見えました、が。
さて、なにが、どこまで、どうなっているのやら……
新聞報道は、尖塔先端にあった青銅製の<風見鶏>が奇跡的に「原形をとどめた状態で見つかった」と伝えていましたが、その中に納められいた<聖遺物(仏教における仏舎利のようなもの)>がどうなったのかは、わかりません。
……………
パリジャン&パリジェンヌたちの、すべてのフランス国民の、<うてばひびく>反応はみごとでした。
再建にむけての、個人や企業などからの献金・寄付も、半端なものじゃなかった(直後の段階ですでに日本のお金で軽く1千億円以上とのこと)ようで。
これは、日本だってきっとそうでしょう、が。
キリスト教世界、カソリックの底力を、あらためて見せつけられる思いがしました。
(これに反発する声も小さくはなかった…のも事実ですが)
焼失した尖塔の再建にあたっては、現代の智慧の結晶たるべく国際的なコンペティション(コンクール)が実施される見込み、とも。
フランスのマクロン大統領は、さっそく意気軒高に「5年以内での再建」をうちだしましたが…これは、いまの彼の政治家としての不安定な状況や、東京大会の次のオリンピック開催(2024年)地であることを意識してのこと。
そんなに、たやすいものではない、でしょう。
……………
それよりも
◆形あるものは滅びる…のが自然、ということ
ぼくが、前から言ってること、ですが、あらためて再確認しておきたいと思います。
<いまある>のは<いつもある>わけじゃない、<いまある>のは<なかった>ところから仮りているだけ。
というのが厳然とした事実です。
だから、すべての<いまある>、モノでもコトでも、いずれはなくなります。
地球も生きているから、そりゃ、クシャミだってします。
天変地異に、ワザトも、イジワルも、アクイもないんですから。
火災にだって、天災もありゃ、人間のミスも故意も、なにかのマチガイだってありますよ、ね。
こんどのノートルダム大聖堂の場合。
修復工事中の失火による可能性が指摘されています、けれども。
ほかにも原因になることは、たとえば溶接などの火花や蓄熱があり、ついでに作業員の喫煙失火なんかもあります。
それから屋根裏には、ハトやカラスなど鳥類の巣がつきもので、これも火種になりやすい。
フランスでは、作業後、少なくとも1時間は作業員が現場にとどまる(様子を見る)規則がある、そうですけれども、守られていないこともあるらしい、ですね。
この火災を伝え聞いた(アメリカ)ニューヨーク市の消防局元幹部は、取材のニューヨーク・タイムズ紙記者に語ったそうです。
「大聖堂は燃えるためにあるようなものさ、礼拝の場でなければ(違法建築として)摘発対象だよ」と。
ふりかえって、木造の国ニッポンでの現実は、もっともっとキビシい。
すでに、法隆寺金堂の壁画が焼損してますし、国宝の金閣寺だって全焼してます。
国の対策で、国宝・重文指定の建造物には火災報知器の設置が義務付けられていて、昨年4月時点で設置率は96%だそうです、が。
そのさきの消火装置になると、これはまだ、所有者の判断まかせ。
文化庁でも「対策はまだ道半ば」と認めています。
これからも、燃えたり、壊れたりを、くりかえすことでしょう。
すると、「再建だ」「修復だ」となります。
なにがなんでも…です。
ぼくだって「放っとけ」とは言いません、修復するもよし、再建するのもいいでしょう。
ただ、「形あるものは、いずれ滅びる」んですから。
どうしたって、それが道理なんですから。
まず、なによりもさきに、そのことをシッカリ肝に銘じて、「なくなったときに備える」覚悟があるべきです。
そのうえで、やむをえない「なくせるもの」には、<こころのこり>だけれども、<口惜しい>ことだけれども、<おひきとりを願う、命あるものはみな同じ>であるべきでしょう。
<エゴイズム>とか<わがまま>には、知的水準とか生活レベルとかは関係ないようです。
自分が好きなもの、関係することに<こだわる>体質にも、人間性のブレーキは利かないものらしい。
誰もが(じぶんはそんなんじゃない…)とばかり思いこんで、(これだけは別…)と決めて譲りません。
それならそれで、保存の智慧や苦心くらいは買ってでてほしいものだけれども、そっちはアナタまかせ、ときてる。
たとえば、修復や再建にかかせない伝統の工法や技術を、継ぐ者は減るばかりです。
ノートルダム大聖堂の再建には、少なくとも数百人規模の職人がたりない、といわれます。
ニッポンの国宝・重文を修復できる人材確保にも、さきゆきは不安がいっぱいなんです……