-No.2082-
★2018年06月04日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3008日
★ オリンピックTOKYOまで → 416日
★旧暦4月27日、繊月
(月齢1.1、月出05:04、月没19:40)
◆どっこい、めげない、負けない……
震災遺構防潮堤のある明戸海岸から、さらに北の北山崎を目指す途中、弁天崎のさき矢越岬のすぐ手前に、小さな流れの谷沿いに、なにやら〝隠れ里〟めいた小屋の並ぶのが見える。
ここは、机浜番屋群。
「はま」と呼ぶには細やかすぎる開口(港)の脇奥に肩を寄せ合っている。
漢字は「机」とアテられていても、地名の由来はアイヌ語の「ツク・エツ(小山の・岬)」とのこと。
「番屋」と言うと、むかしニシン漁で栄えた頃の北海道西海岸を想いだす。
その豪壮なイメージからは遠く、小規模なものながら、機能は同じ番小屋。漁期の寝泊りや漁具の収納、さまざまな作業に使われた建物の集まりである。
ここの住民たちの住まいは、時化〔しけ〕や津波の難を避けた高台にあって、ふだんは農耕や炭焼きを営み、漁期になれば磯にウニやアワビを漁り、またコンブやワカメを採って暮らしてきた。
この机浜、あらためて見直すまでもなく、いかにも狭小、いかにもアヤウい。
実際、昭和三陸大津波(昭和8年=1933)では、流された番屋を漁師たちがみずから建て直している。
そうして、平成18年(2006)には水産庁の「未来にのこしたい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれもした、けれども、《11.3.11》東日本大震災の大津波で「一瞬のうちに跡形もなく流失」。
それでも、しかし、めげないこの村の人々は「机浜番屋群再生プロジェクト」を立ち上げてボランティア作業にとりくみ、平成28年(2016)には再建・復元を果たし。
現在は、「サッパ舟アドベンチャーズ」や「漁師ガイド」ほか、さまざまな「ばんぱく(番屋体験博覧会)」イベントを企画してガンバっているのだ。
番屋群を見て歩いていたら、
「どうぞ、やすんでいってください」と、声がかかり。
どうやら今日は、小グループの体験会でもあったらしい、なごりの野外テーブルでお茶と炭火焼のご馳走になる。
この浜で、このたびの大津波に襲われながら命をひろった人に、またひとり、出逢うことができた。
ぼくは想う……
この田野畑村という、いかにも〝里山・里海〟然とした土地に暮らす人たちには、どう言ったらいいか…自然を相手にするのは並大抵のことではない、けれども、つまるところイイことばかりでも、ワルイことばかりでもない…どっこい、めげずに、負けずにガンバるのだ、といった覚悟と極意のほどを見る。
そんな感が、つくづくと深いのであった。
……………
〇震災前の人口 3,843人(2010年国勢調査)
〇震災後の人口 3,385人(2019年4月1日現在)
〇死者 14人
〇行方不明 15人
計 29人
〇倒壊家屋 270棟
※震度4、津波痕跡の最高は23m