-No.2060-
★2018年05月13日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2986日
★ オリンピックTOKYOまで → 438日
★旧暦4月9日、上弦・半月
(月齢8.6、月出12:23、月没01:14)
※11日(土)は、七十二候の「蚯蚓出(ミミズが地上に這い出る頃)」でした。家の庭では、まだ…ですが。土の中はたしかに温くなりました。
◆大槌を見守る「城山」
東日本大震災では、湾岸背後の高台や突き出した山鼻などの高みが、多くの住民の命を救った。
山裾まで含めて、この城山(大槌城址)にとり縋って命を拾った人もまた少なからず、そういう人たちから聞く救命譚は、いずれも生々しいもので。
したがって、大槌町に来たらかならず城山に上がって見ることが、ぼくたちの習いになった。
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城山の山頂は標高141メートルだが、展望台のあるところは一段低い。
震災と津波の襲来によって、大槌町でもあがった火の手は城山の山肌を焼いて上り、震災後しばらくは焼け跡を曝していた…が。
自然の快復する力の逞しさは、まもなく山肌にふたたび緑を蘇らせて、人々を鼓舞した。
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それにくらべると、すっかり浚われつくした眼下の町から浜にかけては、無慚の一語に尽き。
しかも、ときを経てもなかなか、はかばかしい復興の進捗は見られず。
だから、いつのまにか、ぼくらの城山からの眺めは、目の前の荒涼を避けて海へと漂い、視線は「ひょうたん島(蓬莱島)」を探すクセがついてしまった。
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それが、ようやく17年くらいから、新しい町の区画割に建物が姿をみせはじめ。
そこでボクたちは、屋根のありがたさと屋並みの美しさに、あらためて気づくのだった。
◆JR東日本から「さんてつ(三陸鉄道)」へ
このたびの大槌町訪問は、18年9月初めの土・日(1~2日)。
JR山田線が、線路の復旧後は、運営を第三セクターの「三陸鉄道」にゆずる(というよりJRが放棄)ことが決まって、折から運行再開に向けたうごきが活発になってきた頃だった。
大槌駅。
新しいホームはできていたが、ほかの諸設備はまだこれから。
それでも駅前通りの周辺には、新築のニオイのする住宅群が誕生していた。
その後の、大槌駅。
駅舎は、町民公募でダントツに人気の高かった「ひょうたん島」をモチーフとする丸っこいデザイン。
駅は、大槌町観光物産協会の簡易受託駅になり、駅舎は大槌駅観光交流施設になる。
JR山田線時代、エスペラント名「ルーモトゥーロ=灯台」だった愛称は、「さんてつ」リアス線になって「鮭とひょうたん島の町」に。
駅舎内には、この町発祥の「新巻き鮭」の骨から出汁をとったラーメンの店(大槌ラーメン研究会)ができ、ウレシイことには夜は居酒屋にする予定という。
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「大槌」から北へ、リアス線の駅は「吉里吉里」、「浪越海岸」とつづいて、ここまでが大槌町(上の駅写真、左から右へ)。
その先は、町境を越え山田町になり。
大槌町の駅までが、JR山田線時代の釜石管内であった。
したがって、宮沢賢治世界の駅名エスペラント愛称もまた、<ここまで>。
そうして、それも、「さんてつ」リアス線への移管による愛称変更で、この3月23日からは下記のようになっている。
〇「吉里吉里」駅は、「レジョランド=王国」から「鳴き砂の浜」。
〇「浪板海岸」駅は、「オンドクレストイ=波頭」から「片寄波のサーフサイド」。
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なお、自然界からのメッセージとしては、こんなこともあった。
(18年2月16日、東京新聞記事による)
東日本大震災の津波によって、川と海に分かれて棲息してきた別種の小魚「イトヨ」が交流・交配、新たな交雑種が誕生していたことが分かった、という。
発見したのは岐阜経済大学淡水生態学の森誠一教授で、97年から大槌町でつづけてきた調査の結果、遺伝子変化(淡水型と海水型、両方の特徴をもつ)が見られた、そうな。
いずれ、新種として定着するかも知れない。
自然は自然に、地球とそこに棲息する生命を生み育み、またあるいは、ときに撤収もくりかえしていく……
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〇震災前の人口 15,276人(2010年国勢調査)
〇震災後の人口 11,890人(2019年1月末現在)
〇死者数 803人
〇行方不明者数 423人
〇 計 1,223人
〇家屋倒壊数 4,167棟
※震度=5弱~6弱(予測)
※津波高=大槌湾で15.1m
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東日本大震災【山田町の被害】
〇震災前の人口 18,617人(2010年国勢調査)
〇震災後の人口 15,053人(2018年10月1日現在※推計)
〇死者数 604人
〇行方不明者数 148人
〇 計 752人
〇家屋倒壊数 3,167棟
※震度=5
※津波高=船越湾で19.0m
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【後日談】
ことし春、「さんてつ」リアス線の開通後。
「木工ワークショップ」のお手伝いにをつづけてきてくださった、釜石のT.佐藤さんから、リアス線開通記念の新聞「岩手日報」と、時刻表、大槌駅の記念乗車券をいただいた。
こんどの東日本大震災で知り合い、結ばれた佐藤さん夫妻も、この春、釜石から北上市へ居を移した。これも〝再興〟への一里塚……。