-No.2015-
★2018年03月29日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2941日
★ オリンピックTOKYOまで → 483日
★旧暦2月23日、二十三夜の月
(月齢22.8、月出01:24、月没11:28)
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー配給の西部劇映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年)を、ほぼ半世紀ぶりに録画で観た。
気になっていた作品を想い出して、再確認して観たくなったのだった。
この映画には、二つの大きな特徴があった。
ひとつは、アメリカの伝説的ミュージシャンでのちにノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランが音楽を担当、おまけに出演までした熱の入れようであったこと。
もうひとつは、これを撮った監督が「血まみれサム」の異名でも呼ばれ、一部ではバイオレンスの巨匠ともてはやされたサム・ペキンパーだったこと。
ストーリーは簡潔だ。
無法者のガンマン、ビリー・ザ・キッド(クリス・クリストファーソン)を、保安官のパット・ギャレット(ジェームス・コバーン)が追う。
ギャレットには、体制派の金持ち実業家たちが正義の衣をまとって付き、キッドの首(命)に多額の懸賞金をかける。
ギャレットはキッドを追うが、心のどこかにキッドを憎みきれない、できれば彼がメキシコにでも逃げ延びてくれればいいが…と思うところがあった。
しかし、キッドにはキッドの想いがある。
無法者仲間を次々と失い、西部を放浪しつづけるうちに、やはり「じぶんの居場所にもどるべきだ」と悟り、フォート・サムナーに舞い戻ってしまう。
心理的に追い詰められたのは、追う立場のギャレットもまた同じだった。
深夜、部屋から出てきたキッドと、待ち構えていたギャレット…正面から鉢合わせするカタチになったふたり、キッドの頬には懐かしい顔を見る笑みがあったが、ギャレットの銃に撃ち殺される。
なお、ちなみに『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』というタイトルは<邦題>で、原題は『Pat Garrett and Billy the Kid』である。
ギャレットもまた孤独であった……
男には、たしかに、アウト・ロー(無法者)に酔いたい気分がある。
みずからの腕力を頼み、武器の誘惑に抗しがたいのが、古い狩猟本能の遺伝子に由来するとすれば、アウト・ローはその行きつく先にある。
……………
ディランにしても、ペキンパーにしても。
それから
とりわけ開拓魂のアメリカ男ども、そうして広く世に棲む男どもの多くが、無意識に追ってしまう夢のようなものなのだろう、が。
所詮それは、<見果てぬ夢>でしかない。
現実味うすい、はかない夢にすぎぬ。
映画は……
ぼくが若い日、世に<ノンセクト・ラジカル>と呼ばれた青春の時間をすごし、その後に観て(時代にとりのこされたな…)と、ひたすら、こころ淋しく感じた。
いま観ても、その頃の印象と、とくに変わりはなく、もっと淋しかった。
サム・ペキンパーには、ほかに『わらの犬』(1971年、ダスティン・ホフマン主演)や『ゲッタウェイ』(1973年、スティーブ・マックイーン主演)などがあり、おなじバイオレンス(暴力)ものにしても、これらの作品のほうが、70年代の空気のなかにあって冴えてもいた。
また、ボブ・ディランにしても。
演技の方は、まぁ、特別出演枠の役どころにすぎない…から、「まぁいいかぁ」として。
この映画のために手がけた音楽の方でも、アルバム『ビリー・ザ・キッド』を出している。が、曲・詞にこめられた気分は、映画音楽というより彼独自の世界にかぎるもので、少なくともぼくには存在感がうすかったことを、申し添えておきたい。
……………
日本の俳優では、高倉健が好きな監督にサム・ペキンパーの名をあげていた。
(健さんの好きな役者は、いうまでもない、フランスのジャン・ギャバン)
ペキンパーの晩年は、アルコールと麻薬にむしばまれたとのこと…1984年に59歳で他界している。