-No.2001-
★2018年03月15日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2927日
★ オリンピックTOKYOまで → 497日
★旧暦2月9日
(月齢8.8、月出11:19、月没01:01)
◆フォト・エッセイふうに
昨年秋10月、「築地市場」の閉場を見届けて(記事は-No.1945-1月18日付け)から、2ヶ月ほど後の師走12月になって。
blog.hatena.ne.jp
昨年のうちに、なんとか新しい「豊洲市場」のいま現在も見ておくことができた。
その様子を手短に、フォト・エッセイふうに見ていただこう、と思う。
手短に…のわけは、まだよくわからないことばかり、だから。
正直なところ、「豊洲」がこれからどんなふうになっていくのか、とても予測しきれない。
言えるのは、ただひとつ、これから日々の積みかさねの、その先に、いずれ遠からず、将来像が〝あぶりだされ〟てくるにちがいない、それだけだ。
◆都バス「市01」で行く
築地市場への便利に生まれた都バス、都内最短路線は、走行距離を伸ばして豊洲まで行くことになった。
新橋駅を出て、築地市場の跡を通って行く。
場内は閉め切られて建物の解体が進んでいる…が、場外の方にはかなりの人だかり、それも外人観光客の姿が目立つ。
人は〝市場〟に〝猥雑さ〟をもとめる…というのがぼくの持論だけれど、この光景はまさにそれを裏書きしている。
勝鬨橋を渡り、晴海通りから豊洲埠頭へ。
朝方、市場関係者が多数利用する時間帯、バスは仲卸棟前にも停まるが、昼間は卸売棟前に終着する。
◆ここは「市場博物館」
その日はウィークデーだったが、かなりの人出が物見高さをくっきりと証明。
「ゆりかもめ」市場前駅からの連絡橋に出てみると、ひっきりなしの見物客の往来に、案内係が懸命に応対していた。
ただ、よく見ると、ここでは外人観光客よりも日本人の方が多い。
「築地」に替わる「豊洲」の中央市場がどんな具合か、確かめに来た感じ。
その目の色が、<驚き>と<戸惑い>半々と見てとれる。
水産卸売棟と仲卸棟を見てまわった(青果棟までは行けなかった…ほどにデカい)のだけれど。
そこはすべて、オフィスビルかマンションと変わらず。
新築ビルの匂いが、そこここにのこっている。
卸売棟の競り場や荷捌き所や飲食店、仲卸棟の売り場など、いずれも<ガラスケース>に納まった印象で、懇切丁寧に設置された案内板や説明図画、ターレに乗って記念撮影ができるコーナーなど、どこか、かつての<市場>とは異質。
近ごろは、各地の漁港や道の駅などに見られる誘客の仕掛け…にしても、(そこはしっかりカネをかけてあります)巨大都市TOKYOの豊かな懐具合を誇示している。
ようするに、ここは「博物館」なのダ。
ということに、ボクは思いいたる。
それも…これも近ごろ定番。
<バックヤード見学ツアー付き>というやつを、思いおこさせる。
将来の<市場>像は、このように、否応なく「ダイニング・キッチン」化していくのかも
知れない。
ここまで、どこにも<魚臭>はなかった。
◆なにもかもが<公園のなか>で…
仲卸棟の屋上に上がると、芝生のガーデン(園地)が広がって、その向こうには晴海のオリンピック選手村、懸命の工事をいそいでいるのが望める。
道を跨いで向こう側のエレベーターで下ると、晴海運河に沿った親水公園。
絵に描いたようなウォーター・フロントを、ウォーカーやマラソン・マン、サイクリストが行き、ベンチにはピクニックランチ・タイムの姿も見られる。
一帯はいま、皇居外周にかわる人気のランニング・コースになりつうあるそうで、なるほど…イイかも知れない爽やかさが吹く風に感じられた。
すべてが公園化された、ここには、<毎日が休日>みたいな空気がただよう。
しかし、生もの(生鮮)を扱いながら、ここにあるのは疑似の自然。
自然を忘れさせる仕掛けが支配する……
「水神社は…どこ?」
ぼくは、ガイドのおじさんに訊ねてみる。
(ひょっとすると知らなかったりするかも…)と思ったが、さにあらず、きちんと所在を教えてくれた。
「築地」の場内に、手厚く祀られ崇敬されてきた水神社は、豊洲に遷座されて、社〔やしろ〕は仲卸棟の裏手にあった。
別に、神さまは陽あたりのいいとこに祀られるべし…とは思わない、けれども、駐車ビルの背後という社地は感心しない。
市場に働く人、幾人かに話を聞いたが。
建物が車道で分断されていたり、配管類や設備がお上品にすぎたり。
「馴れてくしかない…けどね」
けっして、<プロの使い勝手>にはできていない、という。
ここ「豊洲」に、はじめっから横たわっている「環境」面の不安も、きれいさっぱり解消されたわけではない、から。
都の関係者は、(どうか大きな問題がおきませんように)祈りたい気分で日々をすごしているのかも知れない……
]