-No.2036-
★2018年04月19日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2962日
★ オリンピックTOKYOまで → 462日
★旧暦3月15日、満月・十五夜・望月
(月齢14.1、月出18:02、月没05:05)
2020年開催の東京オリンピック&パラリンピックまで、あと500日になった3月12日。
(その日は奇しくも、前日に、東日本大震災から8年の節目を迎えたばかりでもあった…)
組織委員書から発表された「スポーツ・ピクトグラム」を観て、(よぉ…!)不調から脱したライバルとバッタリ出逢ったような驚きと、奇妙なウレシさとがあった。
50種目(前回1964年のときは種目)の競技別に、単体表現に用いられる「フリータイプ」と、エンブレム・イメージの円内に白抜きの「フレームタイプ」と。
〝50〟のうちのドレが…というのではない、揃ったのを〝ひとめ〟見たときに、よく訓練されたチームの隊列に出逢った〝ときめき〟の清冽さがあって。
50揃ったのをあれこれ眺めれば、わくわく感がマーチにのって行進するようだった。
「フリ-タイプ」から「フレームタイプ」へと目線を移すと、自転車や馬術など種目別の特徴表現にもチカッと煌めくものがある。
……………
想えば…前回64年の東京オリンピック&パラリンピックで、はじめて、ぼくたちはこの「ピクトグラム」という簡潔情報伝達の形象と実効に、コミットした。
前回の東京オリンピックは、ピクトグラムが初めて採用された大会でもあった。
清新な風に吹かれる気分だったことを、いまも忘れない。
その後、広告業界でプロデュースとコピーワークに携わったぼくは、グラフィックデザイナーとも仕事をするチャンスがふえ、デザインの現場や技法にも親しんだ。
明治製菓やニコン、フジテレビのロゴ・デザインなどで活躍した亀倉雄策さんの時代……
ピクトグラムでは、「非常口」の表現が画期的。
平面世界に、光線の効果を採り入れることでムーブメントをもたせた技法が斬新だった。
この日本生まれのピクトグラムはたしか、のちに国際標化されている。
……………
前回のピクトグラム考案には、当時の若手美術家(後に著名になった横尾忠則氏など)が参加。
手弁当の無休奉仕で手がけ、完成後には著作権放棄の同意書にサインした、という。
みごとなオリンピック精神といっていい。
こんどのピクトグラムを手がけた、デザイナー廣村正彰さんら10人ほどのチームは、前回大会のものをベースに「先人へのリスペクト(尊敬)とともに、その継承と進化」を目標に、素直にピクトグラム本来の「わかりやすさ」を追究。
最終的には、国際オリンピック委員会(IOC)や各競技団体と協議して決めた、というのもいい。
◆〝パラ〟リンピックのピクトグラム23種の発表もあった
なお、その後。
パラリンピックの開会500日前にあたる4月13日には、開催〝パラ〟競技23種のピクトグラムも発表。
これも、同じデザイナー・チームの作で、競技種目の〝特徴〟表現が目新しさて新鮮だった。
周知と理解をふかめてもらうための「かるた」も製作とのこと、気が利いている。
あわせて
すっきりクリエイト、グッド・ジョブである!
……………
こんどの東京オリンピックは、招致段階からなにかと(JOC竹田恒和会長の贈賄疑惑と、その後の辞任など)あれこれゴタゴタつづきで。
スカッと快哉を叫べることが、ほとんどなくて来ただけに、このピクトグラムの躍動感がはじめて、曇り空を突き抜けて見えるのダ!