-No.1990-
★2018年03月04日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2916日
★ オリンピックTOKYOまで → 508日
★旧暦1月28日、新月へ3日
(月齢27.6、月出04:53、月没15:22)
ぼくにとって〝古巣〟の街。
神田神保町の画材屋さんで、店員さんにそう言ったら。
「どのような…」
即座に問い返されてドギマギ…してるようでは、てんでダメなので。
これじゃ、絵筆を執ったこともないのが見え見え。
しかたなく、
「下地に糊でデザインした上に…砂を振って画にしてみたいんです」
ぼくの懸命な説明に、うそ偽りはなかった。
ただ、ぼくは、もっと話は簡単にすむことだろうと、タカをくくっていたのだ、けれど。
「これで…いいんだろうとは思うんですが、やってみたことはないんで、試してみていただくしかないんですが…」
若い店員さんは、困惑気だった。
どうやら「キャンバス」といっても、ひとつ種類のものではないらしい、と知れた。
「あっ、そうですよね。ぼくも、なにしろ初めてなもんで…えぇ、それでいいです、試してみますから」
ぼくは慌てて、木枠に包み張りされたキャンバスの買い物を、どうにかすませた。
……………
去年の夏、猛暑の盛りの頃だった。
キャンバス地が、ぼくは好きである。
麻の粗織りは、カラッとした夏空を想わせる。
ピンと張ったキャンバス地に、なにかしら仕掛けてみたい欲求は、ふるくからあった、けれども。
和紙・筆墨に馴染んだボクに、油絵は遠い世界であった。
……………
旅することを覚えて最初に、ぼくを魅了したのが浜の砂。
三輪茂雄さんという、粉粒体工学の博士(名古屋大学名誉教授)がいらっしゃる。
この方の著書『鳴き砂幻想 ミュージカル・サンドの謎を追う』(1982年、ダイヤモンド社)に出逢ったのがきっかけで、あちらこちらの浜砂を、小さなジャム瓶ほどのガラス容器にコレクションし始めたときから、「キャンバスに砂」の構想めいたものも芽生えていた。
(三輪さんはその後94年にも『消えゆく白砂の唄 鳴き砂幻想』=日本図書刊行会を刊行しておられるが、07年10月に亡くなられた…合掌…)
けれども、ぼくの「キャンバスに砂」の構想めいたものは、其の後、なかなか芽生えることがなかった。
それは、自然から採取してきた(いまどきの)砂には、なにかと不純物が混在しているので、これを生かす(鳴き砂に再生させる)には、丹念に水で洗う必要がある。
それも三輪さんの本から学んだわけだが、その「砂を洗うの図」というのにどうにも美的感興を誘われず、だいいち面倒臭くもあり、ついでに「汚れっちまった哀しみ(中原中也の詩の世界)」は放っておきたい気分もあった。
そうして、幾星霜。
……………
あって後の、「砂コレクション」整理から、かつての感興が、ふと再燃。
「汚れっちまった哀しみ」こそ洗いながさなければいけない…気になったわけだった。
ところが、その「キャンバス」。
じっくりと、手にして見れば見るほどに、犯しがたい気品が感じられ。
そうこうする裡に、夏はゆき、秋ふかまり…砂を洗うはずの水もいつか手に冷たく。
とどのつまり、ぼくはこの冬を、薪ストーブの炎を前に「キャンバス」を抱えてすごした。
……………
「かんばす」ボソッとぼくは、ひとりごつ。
そうして
そうか「かんばせ」かぁ…ひとりナットクする。
「キャンバス」は、日本語ヨミだと「かんばす」にもなる。
厚手の帆布(ほぬの、はんぷ)は、「画布」として重宝された。
東京の麻布も、かつては麻を植え布に織ったところ、という。
「かんばせ」は「かおばせ」で、「顔つき」のこと。
「花のかんばせ」といえば「別嬪」、むかしむかしは最上級の美称であった。
そういえば、白く地塗りされた「かんばす」は、化粧を想わせる。
言葉の意味あいにはナンの脈絡もないものの、こころもちの通うところがある。
ついでに、「カンバセーション」は「会話」で、これにも仄かに対面のにおいがする。
……などと、きょうもぼんやり、ストーブの火を眺めつつ。
(もう、ちょっとだ、暑さ寒さも彼岸まで)
ぼくは水温〔ぬる〕む春を待っている。
手にはまだ(ちゃっぷい)水道の水も、喉には冷たくなくなってきた……

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