-No.1956-
★2018年01月29日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2882日
★ オリンピックTOKYOまで → 542日
★旧暦12月24日、(月齢23.4、月出00:56、月没11:56)
◆<天保>の蕎麦の実がどっさり
1998年(平成10)のことだった、という。
それから10余年後には東日本大震災&大津波、くわえて福島第一原発爆発事故に見舞われることになる福島県の沿岸部、大熊町の旧家を解体中。
古民家の天井裏から、真っ黒に変色した俵6つが見つかった、その中身が蕎麦の実。
蕎麦が<救荒作物>とされたのは、成長が早く(播種から75日で収穫できる)、生命力つよく荒地でも育ったからだが。
調べたところ、この旧家の5代前、天保時代に生きた当主が、いざというときの備えに保存しておいたものらしい…と判明。
(江戸、天保時代といえば多数の餓死者を出した〝大飢饉〟のあった頃だ)
黒く煤けた俵から出てきた蕎麦の実は、からからに乾燥していたけれども、なんとか発芽させられないか。
地元福島県の研究機関が栽培をこころみたが、思う結果がでない。
そこで、白羽の矢が飛んだのが山形。
<蕎麦の達人>といわれた製粉所の先代社長が、古い種なら昔から言い伝えられてきた農家伝来の栽培法でいこうと、「蕎麦を播くとき水はいらない」に独自の水分補給法をくふうしてやってみた。
これが、みごと成功して蕎麦の実は発芽。「天保そば」と命名された。
しからば、その味わいはどうか、といえば。これがまた、
「いまの蕎麦より、餅のような弾力があって、野性味のある香りもよく、 おどろくほど美味い」
この奇跡の「天保そば」復活の活動は、山形の蕎麦屋さんと製粉所による「天保そば保存会」にひきつがれ。
栽培は、ミツバチ受粉の蕎麦が他品種と交配することのないように、酒田沖の飛島の農家にお願いして。
2016年から「天保そば」のメニューが会員13店舗の蕎麦屋さんにお目見えした。
……………
ぼくは、こういう講談っぽい逸話にヨワイ体質をもつ。
話しを聞いたときから(ぜひ食べてみたい)ものだと思いつづけて。
ことし、そのチャンスに恵まれた…というか、引き寄せた。
仙台港に近い宮城野区の蒲生干潟から、山形へと走った。
なに、県界は越えても距離にすれば70kmほどでしかない。
宿は、山形県庁に近い山形県職員会館あこや会館。
ちなみに「あこや」というのは、山形の民話に登場する琴の名手「あこや姫」に由来する。
投宿して、シャワーを浴びるとすぐに、タクシーを呼んで蕎麦屋さんへ。
目指すは、「天保そば保存会」会長さんのお店「惣右ヱ門」。
山形自動車道、山形北インターに近い店は、城下町にふさわしい豪壮な梁が広がる吹き抜け天井の、唐風四方流れ武家造り。
お待ちしておりました…と、店主みずから出迎えてくださり。
電話でうかがった蕎麦を用意しました…と丁寧なことだった。
じつは、これから山形へ、という段になったときに念のため、店に電話をしておいた、が。
「天保そばは、おしまいになりました」
6月までで売り切れている、という。
ガッカリだったが、ナットクでもあった。
収量の少ない希少蕎麦のことだ、地元の蕎麦好きが放っておくまい。
しかし、またのチャンス、といってもアテはないのだ。
東京から出張ってきていることを告げたら、
ならば、これも名代の「寒ざらしそば」ではどうだろう…というので、承諾した。
蕎麦は、田舎風「ひきぐるみ」の、歯ごたえ、喉越しともに、申し分のないものを堪能。
「天保そば」は乾麺になったのを宅配してもらって、後日、帰郷してから味わった。
評判どおりの、もっちり香りもよい蕎麦、文句なし。
これなら、つぎはぜひとも、時季のものを「生そば」で味わってみたい……