-No.1943-
★2018年01月16日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2869日
★ オリンピックTOKYOまで → 555日
★旧暦12月11日、十三夜へ2日(月齢10.4、月出12:33、月没01:14)
◆岩沼の「千年希望の丘」
そこは、南隣り亘理町との境を流れる阿武隈川の河口から、北隣り名取市にまたがる仙台空港にかけて、10kmにもおよぶ平坦な浜。
かつては、伊達政宗ゆかりの貞山堀との間に海浜緑地と浄化センターがあったくらいで、潮風のサイクリングロードが浜伝いに延びるところだった。
この一帯が、東日本大震災の津波に浚われ尽して、多くの死者をだした。
なぜか、なんの根拠があってか、「ここが津波に襲われることはない」と信じきっていた人のあったことが報じられて、災害から身を守る〝減災〟のむずかしさを、あらためて考えさせられたことだった。
……………
《11.3.11》後すぐの夏に、ここを訪れた日。
道は泥濘、どこに海岸線があるのかの見当もつかない状況に、ただ息を呑む想いだったことがいまも記憶に生々しい。(上掲の写真、最下段)
……………
あれから、ここは人の住めない土地になった。
(災害に脆弱な土地には住まない…これを国の鉄則にしなければイケナイ)
その土地に<減災>の設〔しつら〕えをする。
岩沼市が、この沿岸10kmにわたって6つの公園と園路を整備、津波襲来時には避難場所になる園内の丘(千年希望の丘)の土台には、震災瓦礫と津波堆積物(土砂)を利用。岩沼の震災瓦礫の約90%、57万4000トンがこの事業に役立てられた、という。
ちなみに、「千年希望の丘」のロゴ下に配された断面図は、その多重防御の模様を表しており(上掲2段目)、震災後に造られた高みは、右から「防波堤」「千年希望の丘」「かさ上げ道路(玉浦希望ライン)」になっている。
築造される丘は、既存のものも含めて計15基。
このたび丘の上に立ってみると、昨年までは見られなかった丘がまたひとつ増えており。また、園内の一郭には慰霊碑が建立されてあった。
この《11.3.11》大津波を教訓に整備されるメモリアルパークの園路には、ボランティアの協力もえて13年から17年までに低木のハマナスなど約30万本が植樹され(現在も継続中)、将来成長した木々が「緑の堤防」になる計画だ。
ことし6月末にも「育樹祭(除草)」が行われたということだが、なにしろ広大な園地のこと、一度にできる範囲にはかぎりがあるからだろう、雑草の丈高くなっている園路も見られた。
これから年々歳々、「継続こそ力なり」の運営がもとめられることになる。
(ボランティア問い合わせなどは、岩沼市千年希望の丘交流センター ☎0223-238-477)
西北の方角を眺めると、折から仙台空港を離陸した飛行機が夏空に上昇して行った。
……………
岩沼市の教育委員会を訪れ、「2020東京オリンピックの聖火をバイオメタンで燃やそう!」プロジェクトへの協力をお願いして、この街を後にした。
[岩沼市の《11.3.11》被害]
〇震災前の人口 44,187人 ※10年10月現在
〇震災後の人口 44,019人 ※18年10月末現在
〇直接死者 180人
〇関連死者 6人
(計 186人)
〇行方不明者 1人
〇全壊家屋 736棟
〇半壊家屋 1,606棟

「千年希望の丘」のものがたり ~「鎮守の森」にかけた東北被災地復興~
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