-No.1896-
★2018年11月30日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2822日
★ オリンピックTOKYOまで → 602日
◆〝分散型〟になった2018被災地巡訪
7月後半、ぼくが一人で、2次にわけて取材した福島巡訪の「報告記」を、前回(26回)で終えることができました。
のこる宮城・岩手路への「さんりく巡訪」取材は、これまでどおり二人で、8月26日から9月8日までの2週間。
その報告記を、次回からはじめさせていただきます。
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ことし18年の被災地東北巡訪が、分散型になったのはひさしぶり。
しかも、これまでの訪問する先々の事情などではなく、まったくこちらの個人的な都合によるのは、はじめてのことでした。
この冬、ひときわ寒さが身に沁みての春さき。
ぼくは血液検査の結果、見つかった異常から「気管支炎」の治療を受けることになり。
もっとたいへんだったのは、かみさんの方で。
6年前の心臓三尖弁手術のあとに、予想された再発、心房細動があって、もういちど手術(こんどは、カテーテルアブレーション術)を受け、おかげさまで無事すみましたが、予後の経過観察にも時間がかかりました。
(これには本人の心もちの影響も、たぶんにおおきかったのでした……)
そんなこんなで、まれにみる〝酷暑〟に見舞われたこの夏、7月後半の福島巡訪はボクのひとり旅。
それも、わが体力の消耗を思い測って、1次・2次に分けることを決断。
その間に、かみさんの心身の予後快復を待って、ようやく8月下旬に<後半>の、「さんりく(宮城・岩手)巡訪」には二人揃って旅立てることになったわけでした。
けれども
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気分は正直なところ、(おぃおぃ、そろそろ齢だって…かょ)そのことでした。
しかし、中途半端に<端折る>わけにはいきませから、予定は2週間の行程。
この夏の台風襲来の多さからして、<また上陸>の怖れもあるなかでしたから、イザとなったら撤退して引き返すことも、覚悟しての出発だったのです。
そうして実際に、この夏は、とりわけ天候不順につきまとわれつづけ、旅のおしまいには北海道胆振東部地震に遭遇するという……おおきな波瀾もあったのでした。
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ところで、ことし
〝酷暑〟の夏にもかかわらず、北海道では8月17日(金)に、大雪山系の黒岳山頂(1984m)付近で〝初雪〟が確認されています。
ちなみに、平年は9月18日。
ことしの初雪は1974年以降、もっとも早かったことになるそうです。
<南北に長い日本列島>季節差の大きさを、あらてめて思い知らされたものでした。
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ともあれ「報告記」、始めます。
2018のテーマは、「復興…どこまで」でした。