-No.1894-
★2018年11月28日(水曜日)
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◆鎌倉最古の寺
秋の、安息の一日。
ひさしぶりに鎌倉、二階堂を訪ねた。
二階堂の地は、鎌倉市の東端。
鎌倉駅から段葛を歩いて鶴岡八幡宮へと向かえば、右手の山側(左手に行くと北鎌倉)にあたる。
源頼朝が奥州での合戦から凱旋したとき、中尊寺二階堂を模して永福寺(二階堂=現在は廃絶して跡のみ)を建立したことに由来する。
かつて谷合〔やつあい〕の村だった面影は、いまもそこ ここに色濃い。
二階堂には、鎌倉宮、荏柄天神社、覚園寺、瑞泉寺などの社寺が斜面に点在。
冬の、閑かに寂びたふんいきが好まれる。
なぜなら…夏の緑陰にもあじわいがあるのだけれど、そこまでの道中が暑くて、どうもいけない。
杉本寺は、そんな二階堂の社寺のなかでも、ひときわひっそり、こじんまりとした寺で、そこが愛されてもいた。通人また粋人好みの寺といってもいい。
鎌倉街道に面した寺の入口は、まるで民家か小祠のそれのようで、うっかりすると見すごすけれど、参道から境内へと誘う「十一面杉本観音」の幟が…きょうは、あるかなきかの風に微かに揺られていた。
僧、行基が天平6年(734)、十一面観音を安置して創建したと伝えられる鎌倉最古の寺。
三体の十一面観音立像を本尊とする杉本寺は、鎌倉・坂東三十三観音霊場の一番札所でもある。
山門(仁王門)を入ると、本堂へと上る鎌倉石の石段が擦り減って、ここにも歴史の古さが偲ばれるけれど、滑りやすくなって危険なため、いま、参拝者たちは左わきの石段を上がる。
ぼくは、苔むしたこの石段が一番に好きで、鎧武者たちが倒〔こ〕け転〔まろ〕びつつ駆け上がり、また駆け下った態〔さま〕を想像する。
本堂の裏山は杉本城跡で、室町時代には足利方の斯波家長が居城、南朝方の北畠顕家に攻め滅ぼされ、家長はこの寺で自害している。
本堂の茅葺き屋根の佇まいが、ぼくは二番目に好き。
こんど行って見ると、茅葺きは新しく形も整ったものになっていて、好き勝手を言わせてもらえば、むかし見たときの本堂の方が古都風情だった。
(上から二番目の写真がそれで、1979年9月撮影ということはボクが34くらいのとき…)
茅葺き屋根はふつう、20年くらいで葺き替えるというから、いまの屋根はきっと2代あと…か。
あるいは…いまは温暖化の変わりやすい気候のせいで10年もつかどうか…だそうだから、早や3代あとになるのかも知れない。
本堂では折から、写経の集まりでもある様子。
ごく家庭的な運営の寺では、屋根葺き替えの浄財寄進を募っていた。
山門の、阿形〔あぎょう〕・吽形〔うんぎょう〕の仁王像は、ぼくの三番目のお気に入り。
18世紀半ば頃の建立とされるが、金網なんぞに囲われず、参拝する者と同じ空気を吸っているのが好ましかった。