-No.1880-
★2018年11月14日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2806日
★ オリンピックTOKYOまで → 618日
◆村民らが出資する「飯舘電力」
ここ飯舘村でも、災禍をもたらした原発から〝再エネ(再生可能エネルギー)〟への転換を、復興の原動力に位置づけている。
4年前、村内にわずか1ヶ所からスタートした小規模太陽光発電所が、ことしは31ヶ所(さらに年内に50ヶ所を視野)に増え、村外にまで電気を供給できるようになった。
小規模31ヶ所にはワケがある。設立当初は大規模太陽光(メガソーラー)や大規模風力を目指したが、東北電力の買電拒否や、送電線増強費用拠出要求などがあって頓挫したため。
(ほんとうに〝ニクイあんちくしょう〟なことをやってくれます)
そこで、所有者が避難した農地などにパネルを設置、その下では牧草を育てるソーラーシェアリングに転向した。
社長の小林稔(65)さんは和牛育成ひとすじの村民、副社長の佐藤弥右衛門(67)さんは飯舘の酒米で酒づくりをしてきた大和川酒蔵(喜多方市)の社長、《11.3.11》後はご当地エネルギーの仕掛け人でもある。
飯舘電力が軌道にのったところで、小林社長は和牛の育成も再開。「飯舘牛」のブランド復活で発電との両立をはかり、目指すは「雇用の創出」と意気軒高だ。
飯舘村の〝再エネ〟話しは、もうひとつある。
◆クロス発電
飯舘村と東京の電気設備会社が出資した「いいたてまでいな風力発電」。
村が所有する約14ヘクタールの牧草地に既存する、出力10,000kwのメガソーラー(いいたてまでいな太陽光発電所)に、新たにプラス。
高さ150mの風力発電装置(風車2基)を増設。出力6,400kw、一般家庭約1,600世帯分(年間発電量約1、400万kw/h)をもくろむ。
村は、東北電力に売電した収益を復興に役立てるつもりだ。
(東北電力さん、もう〝邪魔〟はなしだぜ!)
いいね! と思うのは、この施設。
同じ敷地に併存する太陽光パネルと風車とで、送電線を共有(クロス発電)すること。
これによって、供給の安定と送電線の有効活用をはかる、ことになる。
来春(19年)完成、運転開始のときからは「いいたてまでいな再エネクロス発電所」に名称も変更…と、あくまでも「までい」でいく方針だ。
◆「帰還困難区域」長泥地区の〝苦渋の選択〟
いっぽうに、重い課題ものこる。
それは村の南部、比曽川沿いに、ほかの地区からもちこまれた除染土(放射能濃度の比較的低いものを選別)を使って農地を造成する計画があることだ。
除染土を盛った上に覆土を被せ、新たな農地約34ヘクタールを造成する、という。
<実証実験>と国が言う、その意図は明らかで、<除染土の最終処分量を減らす>こと、そのための<再利用>にほかならない。
かわりに、<復興拠点>をここにも設ける、と。
構想によるその範囲は、農地造成分を含む186ヘクタール(帰還困難区域の17%にあたる)。
これによって長泥地区内70世帯の、大半が除染対象になる、というのだが……
〝汚染〟も薄めてしまえば〝大過ない〟とでも、いうのだろうか?
※なお、ちなみに、この「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」の除染工事(5町村目になる)は、その後、9月28日から始まっている。除染後はインフラ整備を進め、2023年春までの「避難指示解除」を目指す、という。
◆8年ぶりの運動会
飯舘村の、復興拠点のメインは、もちろん役場周辺である。
ここには町営の、リッパすぎるくらいのグラウンドと体育館ができ。
医療・福祉・教育関係の諸機関も集まっている。
学校を見よう。
この春、再開されたばかりの村立小中学校(4校合併)は、役場のすぐ斜向かい。
ぼくが訪れた7月下旬も、懸命な環境整備工事がつづいていた。
認定こども園も、すぐ近くにある。
これらに通う子どもたち合同の、8年ぶりの運動会が5月にあり。
運動会の開催前には、子どもたちから帰村した全世帯に、メッセージを添えた招待状が送られた、という。
ただし
現状、児童・生徒数は事故前の約14%。
ほとんどの子が村外の避難先からスクールバスで通っている。
ここにも、ぼくは資料キットを持参して、「2020東京オリンピックの聖火をバイオメタンで燃やそう!」プロジェクトへの協力を、教頭先生にお願いしてきた。