-No.1878-
★2018年11月12日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2804日
★ オリンピックTOKYOまで → 620日
◆飯舘村はガンバっている
印象がつよい。
それは、きっと、この山村が抱える〝里山〟環境のせいだし、それよりも、ぼくの<思いなし>のせいだ。
<思いなし>の根っこは、この村が「日本一美しい村」連合に参加していることだった。
05年に7つの町村でスタートした連合に加わったのが10年で、すぐ翌11年に東日本大震災に見舞われ、福島第一原発が爆発事故をおこし、噴出された放射能を運ぶ風はこの村の方角へと流れた……
それゆえ、あの《11.3.11》後の巡礼旅、福島県で最初に訪れたところにもなった。
東北道の福島西インターからいくつかの市町を抜け、飯舘村に入って辿る道は、想い描いた以上の里山風景であり。
ぼくに童謡『ふるさと』の歌詞を想い出させた。
〽うさぎ追いし かの山
小鮒釣りし かの川
ただ、全村避難した村は閑かすぎ、目には見えない放射能を裡に潜めていた……
それから7年余の月日、訪れるたびに感じ入る<ふるさと里山>のキホンに、かわりはなかった。
……………
飯舘村の、復興に向けたうごきが(他所目にも)カッパツになってきたのは、昨17年くらいからだろうか。
拠点(重点)は、役場周辺と、もうひとつ、南相馬市から来る県道12号「原町川俣線」沿線の地域。
まずは、その、村民にとっても来客にとっても交通の要の、県道沿いにある道の駅「までい館」を訪ねてみる。ここ、去年の春はまだ営々、工事中であった。
「までい」とは、福島県北部の方言で「ゆっくり」とか「ていねいに」、また「こころをこめて」の意味あいも加味されたコトバ。
「ユックリズム」や「スローライフ」の生き方にもかようもので、飯舘村ではかねてからこの「までい」をキーワードに<村おこし>の道をさぐってきた。
その「までい」が、《11.3.11》福島第一原発事故による全村避難の苦境を経て、村民により痛切に感じられてきた…といっていい。
昨17年春に、「帰還困難地区」の長泥など一部をのぞいて「避難指示」が解除になるのを待ちかねたように、かずかずの復興計画が実現にむけてうごきはじめ。
「までい館」こそが、そのトップバッターであった。
ここは、村の外からの訪客を迎え、そして、村に住む人たち同士の交流の場にもしていく、いわばホームグラウンドだ。
この日はウィークデーであったにもかかわらず、館内は観光バスで訪れた人たちで賑わっており(もっともこれは、高齢化社会のいまどき珍しいことではないけれども…)。
気がつけば、その人だかりのなかで菅野村長が笑顔をふりまき、ご婦人方の記念ツーショット撮影に応じていた。
飯舘村の復興を目指す取り組みで話題になったのは、「ようこそ」補助金のこころみ。
これは、「ふるさと納税制度」あるいは「いいたてっ子未来基金」に対して1万円以上の寄付をしてくれた人を対象に、その人が村を訪問の際、役場に行って申請書を提出すれば、自宅からの交通費のうち片道分を村で補助しましょう、というもの。
とりあえず、来年(19年)3月末までの予定という。
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敷地内のハウスでは、南国の花「ハイビスカス」の交配種「タイタンビカス」が栽培され、展示された鉢には大ぶりの花が咲いている。どうやら今日は、そのお披露目の会も予定されているらしい。
生育旺盛で、強健な宿根草。草丈は2メートルほどに成長して、6月から9月にかけての開花期には、一日花が毎日かわるがわる咲き、シーズン中の花数は1株あたり200輪以上という。
しかも、栽培が簡単、南国風の花にもかかわらず寒冷地でも地植え・屋外越冬が可能…とか。
この「タイタンビカス」に、飯舘村は復興の起爆剤効果を期待しているようで、敷地内ではハウスの増築工事も進んでいた。
想えば、葛尾村の「コチョウラン」、浪江町の「トルコギキョウ」、そして飯舘村の「タイタンビカス」と、復興の思いをたくすのに花はなによりのアイテム、であることがよくワカル。
きっと……
東日本の沿岸部、《11.3.11》の大津波で浚われ尽した住宅や田畑のあと、希望の欠片も見いだせなかった枯れ野っ原に…それでも翌春には土筆が芽を吹き、名も知れない草花がほころび咲いてくれた、その慰めに心いやされた記憶が、人々の脳裡に鮮明だったからだろう。
冒頭に紹介した、「日本一美しい村」連合。
現在は、あわせて63の町村および地域が加盟しており。
そのなかにいまも、飯舘村はしっかり名を連ね、「美しい村」への〝帰還〟を目指している。
けれども、現実には、村内いたるところに、まだ、除染土などを詰めたフレコンバッグの集積所が居坐りつづけている。
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[飯舘村の現在]
〇人口 5、749人(1、818戸)※2018年8月末現在
〇避難者数 ※2018年10月1日現在
県内 4、532人(1、848世帯)
県外 281人( 151世帯)
計 4,813人(1,999世帯)
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