どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〝貴の乱〟が惨敗を喫してのち…/        さて、大相撲界から暴力問題は根絶されるのか!?

-No.1677
★2018年04月25日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2603日
★ オリンピックTOKYOまで →  821日

 おはようございます、おげんきよう、<なっつまん>です。

*いい日和の陽ざしはすでに暑いくらい、裸になりたいくらいです…けど。*

◆〝失火〟と〝いびり〟

 スポーツの話題を、前回のパラ・スポーツの課題につづいて、もうひとつ。
 初夏たけなわに浮かれる前に、カクニンしておきたい、ことがあります。

 それは。
 横綱日馬富士の暴力事件から始まった大相撲のパワー抗争。
 貴乃花親方のひるがえした〝叛旗〟が、スポーツ紙に「貴の乱」と報じられて大きな話題に発展しました。

 そこで、あれやこれやの話題、枝葉が伸び広がるにつれて忘れられかけた、〝根っこ〟の問題が有耶無耶にされることを懸念して、ぼくは先に、このブログに書きました。

 2月9日(金)、No.1602記事。
 タイトルは<暴力体質…なぁなぁ体質…ゆるふん寄合の「日本相撲協会」には、〝公益〟財団法人の資格があるのか!?>http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8599973812342417795でした。

 是非、もういちど、読者のみなさんに再読を願いたい、ところです。

 事態は、およそ一月後に急転直下。
 貴乃花親方の、関係各方面に迷惑をかけたことを「お詫びする」、〝叛旗を下ろす〟カタチで、思いがけない幕引きになりました。

 暴力体質問題の根絶を訴えた、その貴乃花親方の部屋から、暴力事件が発覚。十両貴公俊〔たかよしとし〕が付け人に暴力をふるったことから、自身は一場所の謹慎休場。
 つい昨年暮れまで日本相撲協会の理事であった師匠の貴乃花親方は、最下位の「ひら」年寄に降格。つきつけられたのは、すさまじいばかりの「いびり」人事でした。

 まぁ、この事態はハッキリ、不祥事。
 とりかえしのつかない〝失火〟ですから、言い訳のしようもない。
 ほかに、どうにも手のうちようがない。

 じつは、前掲2月9日の記事の前、ことし年始早々の1月8日(月)、No.1570の記事、<年末年始お騒がせの〝大相撲騒動〟から/①あらためて〝暴力〟問題を考える>http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8599973812328208691のなかで、ぼくは指摘しました。

 それは、あの日馬富士事件で〝暴力根絶〟を唱えた貴乃花親方自身にも、ざんねんながら、大相撲界に蔓延する暴力体質の残滓というか、暴力の認識にズレと甘さが見られる、ということです。

 貴乃花親方は言っていました、「あれ(日馬富士の暴力)は〝かわいがり〟とは違いますから」と。
 「かわいがり」というのは、兄弟子が弟弟子に対しておこなう(足腰が立たなくなるくらいまでに)激しい稽古、のこと。相撲界の〝慣習〟というより〝因習〟とも呼ぶべきものです。
 この言葉に籠もる臭いから、一般市民の方の多くが感じるであろう「いじめ」の感覚が、親方からは欠落していると思えます。

 ぼくも、ある部屋での「かわいがり」を見たことがあるけれども、ぶつかり稽古や荒稽古とは別の、いやな味わいのするものでした。
 指導者としてイチから出直す、とした貴乃花親方には再起にあたって、この認識をシッカリもっていただきたい。

 そういうこと、ですから。
 貴乃花親方が、潔く白旗を掲げて頭を下げたのは、とうぜんです。
 ……が。

 アマリノコトに、コトバをうしなったのは、どうやらワタシばかりではなかった。
 サラリーマンで、好むと好まざるとに関わらず出世街道にある人たちにとっては、〝結果がすべて〟の組織社会の、負け組に対する露骨な〝いびり〟の実相が、〝これ見よ〟がしに押し出された格好でしたろう。

 もうひとつの問題が、それ。組織のこと。
 「貴の乱」が起こって以来。
 日本相撲協会は、懸命の、それこそナリフリかまわぬ火消しに明け暮れ、好意的な外部委員やいわゆる有識者の方々、諸先生のお力も頂戴・総動員しながら、対抗手段をくりだしてきたわけですが。
 
 そうした時、折々、記者会見の席などで繰り返された発言に、頻繁に登場したのが「組織人としての努め(を疎かにしたということでの貴乃花親方に対する非難)」でした。
 そこが、奇妙なほどリアリティーに欠けて、それこそ〝噴飯〟ものの可笑しさでした。

 だって、その(日本相撲協会という)組織そのものが伝統的に、最弱点として抱える問題の〝根っこ〟が、およそ組織の態をなさない、ましてや〝公益〟財団法人としては全くふさわしからぬ〝組織〟…だったからです。

 そのダラシナサを追究する手から、危ういところで逃れることができた絶好のキッカケが、敵対する貴乃花親方サイドの、それこそ思わぬ〝失火〟だったわけですから。
 これこそ地獄で仏、思わず躍り上がってしまうほどだったことは、想像に難くありません。よくわかりますよ、その気もち…

 でも、ねぇ。
 よ~く考えてみてください。
 問題は、そのまんま、な~んにも、なにひとつ解決していないんです。
 つまり、2月9日の記事で指摘した<暴力体質>、<なぁなぁ体質>、<ゆるふん寄合>状態は超健在。

 大相撲は、もうずいぶんの長きにわたって、さまざまなカタチでの暴力沙汰や八百長沙汰を繰り返してきて、その都度「根絶する努力」を誓いながら、一向に改まる気配がない。
 これからも起こるだろうし、それは起こらない奇跡を思うよりも、こんどはいつ起こるかを待つ方がずっと現実的です。

 暴力沙汰ではなかったけれども、それから間もない4月初旬には、強烈な〝差別〟意識むきだしを曝けだすことがありました。
 挨拶に上がった巡業の土俵上、くも膜下出血で倒れた市長の人命救助に、かけつけた看護師の女性たちに対して、場内放送がこともあろうに「女性の方は土俵からおりてください」と繰り返しました。

 暴力根絶に対してはいまだに有効な指導教育体制もとれないでいる相撲協会が、女性排除に関しては、なんとまぁ見上げた徹底教育ぶり、というべきでしょう。
「女を絶対に、間違っても土俵に上げちゃいかんぞ」
 放送係は教えられたとおりにしたまでのこと。
 
 その後始末に、また、(これは土俵の安寧を願ってすること)という断りも、なんにもなしに大量の塩を土俵に撒いちゃった。「穢らわしい」といわんばかりの行為、と、とられかねないことを平然とやっちゃった。
 これが、〝公益〟財団法人の名に値する行いか…という話しです。

 それは、いうまでもなく、いまある理事長以下の幹部クラスからして、そういう〝別世界〟の風呂桶にヌクヌク長いこと手足を伸ばしてきた人たちが、トクベツな〝組織〟を守ってきたからにほかなりません。
 貴乃花親方が、彼らも吃驚するようなグッドタイミングで〝失火〟事件をおこして〝謹慎〟同然の死に体になったとき、ここぞとばかりに寄って集っての袋叩き、陰惨なまでの〝いびり〟放題は、呆れるばかりというほかない。

 はっきり申し上げれば、彼らのなか、身内にも、こうした<暴力体質><なあなあ体質>は奥深く巣喰っており、(そのホントのところが分かってはいないだけに)そのいつ発覚するか、いつ叩かれるかも知れないことを怖れながら、少しでも長いみずからの安寧をひたすら願っているのでしょう。

 そのためには、出る杭はこっぴどく叩く、叩いて二度と立ち上がれないまでに〝いびりつくす(かわいがってやる)〟、じつに見るに堪えない陰惨な世界です。

 それをまた、見て見ないふりでいるファンの存在が、ほかのさまざまな事象と同じく、恥ずべきテイタラクであることも、このさい指摘しておきたいと思います。

 …というのは、協会がこの〝ゆるふん〟テイタラクな有り様にもかかわらず、来たる5月夏場所も「満員御礼」の見とおしとか。
 そんな春風駘蕩のほほんどき…ですか。ほんとなら「お灸のひとつもすえておかなきゃ」いけないところでしょうに。

 少なくとも、そのいい加減な(ある意味ではまったく〝非情〟な)態度が、〝いびり〟袋叩き体制に加勢しているのも同じだということを、わきまえておいてほしい、と思います。

 なんだかんだ言っても〝大相撲は興行〟であるかぎり、客の入りがなければ成り立たないわけですから、ね。
 協会も、褌しめ直してシッカリしなきゃぁ。



◆でも…じっさい到底、無理でしょうね

 これまでの世界を根底から改革したいと望んでも、いまの〝組織〟では、とてもとても。
 さりとて、ざんねんながら、いま、大相撲にはこれしか〝組織〟がありません。

 貴乃花親方が、みずからにも危うく潜んでいる、この疫病のごとき〝暴力〟体質をバッサリ剥ぎとったうえで。
 新しい大相撲の別組織設立を考えるなら、そうして、二つの組織が生きのこりを賭けてたがいに競いあうのなら、それは相撲ファンにとってもいいことでしょう。

 そういう考えのある、しかも、それを実現する力もある方がいて、いま心中ひそかに策を練っている、ぼくには秘かにそんな気がしているんですけど……