-No.1614-
★2018年02月21日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2540日
★ オリンピックTOKYOまで → 884日
◆〝思いこみ〟たがる脳
上掲のマーク、認知率はかなり高いのではないか。
とくに、ドライバーには馴染みが深い。
ほとんどのドライ―にとって運転席から見馴れた点景、職業ドライバーのなかには「じぶんがいつも運転してる車」の人も多かろう。
このマークの車が道路に目立ちはじめたのは、1970年代に入ってからだったろうか。
このマークが付いているは、大小はあっても、そのほとんどがジュラルミン色の〝箱型〟だ。
……………
ぼくは、この「フルハーフ」という名称を視覚し、知覚した初めっから「トレーラー」のことと認識していた。
勝手な〝思いこみ〟だが、〝確信〟してしまったのだからどうしようもない、あらためて調べてみようともしなかった。
それはきっと、「トレーラー」という特殊車両の圧倒的な存在感による。
なかでも車体の長大な「フル・トレーラー」。
みずからがドライバーになってからは、リムジンあるいは〝SP〟級の要注意な存在、タンクローリーの比ではない。
そこからが〝思いこみ〟のおそろしいところで。
長いのが「フル」なら、半分くらいのはとうぜん「ハーフ」であろうと、これも勝手にきめている。
(正式な車両名称に〝ハーフ・トレーラー〟というのは存在しない、〝セミ・トレーラー〟である)
ぼくは、こうした〝思いこみ〟知識のうえに、さらに、「日本フルハーフ」というのは「トレーラー」という車種を〝象徴〟とする物流専門の車両製造メーカーにちがいない、とする〝思いこみ〟を、なんの疑いもなく重ねたわけである。
ぼくは「フルもハーフもおまかせ!」とヨンだのだ、勝手に。
……………
子どもの頃。
『赤とんぼ』(三木露風作詞、山田耕筰作曲)という童謡の歌詞。
〽夕やけ小やけの赤とんぼ
おわれて見たのはいつの日か
この「おわれて」を、「負われて」ではなく、「追われて」と〝思いこんで〟いた。
このワケを解きほぐすと…幼いボクは、母さんだか誰だかの「背なかに負われて」赤とんぼを見たのではない、もうすでに、いっちょ前に網をふりまわしながら「追っかけて見て」おり…そこで突然…こんどは「追われる」赤とんぼの身になりかわって懸命に、夕陽に翅を光らせ、スイスイと網をかわしながら翔んでいる…のだった。
そう、勝手に。
しかも、この〝思いこみ〟、いま子どもの頃といったけれど、ホントをいえばずっと青春時代まで確信してすごし、あるとき、子どもたちのキャンプ・インストラクターをつとめて、皆んなと口ずさんでいるうちに…ハタ…と気づいて内心大赤面した、というのが真相である。
……………
そうして。
「日本フルハーフ」の場合は、なんと半世紀ちかくの時をすごして。
つい近ごろ、朝の通勤時間帯に車を運転していたら、信号待ちになり、目の前に見覚えのあるジュラルミン色、箱形の物流トラック。その肩口のおなじみのマークの、横文字部分が陽光にチカッと輝いて(おや…)と思った。
「FULL-HALF」じゃない!?
「FRUEHAUF」じゃないか!!
家に帰って調べてみると、「日本フルハーフ」という会社は、アメリカ「FURUEHAUF」社の技術を導入、日本軽金属といすゞ自動車との出資で1963年に設立されたものであった。
名の由来の主オーガスト・フルハーフはデトロイトの鍛冶屋さんで、初めて「トレーラー」を作った人とのことだから、ぼくの〝思いこみ〟もあながち無理ばっかりとはいえないのだ、が。
……………
ぼくは、ここしばらく前から、そっちの方面につよく関心がむいて、脳に関する本をよく読む。
最近では気鋭の神経生理学者、池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』(講談社ブルーバックッス、2007年)を興味深く読ませてもらった。
なかでも「運動神経と引き替えに、知能を発達させた」人という指摘がおもしろくて、その伝で素人の勝手な解釈をさせてもらえば。
脳というのも、これも個々多様な生物とつきあう都合上からか、その機能にはかなり勝手なものがあって、〝思いこみ〟なんかもそのひとつ、みたい。省エネか、疲労の回避のためか、予測・先読み的なはたらきもする、らしい。
……………
そんな脳と愉しくおつきあい、していくためには。
「あっ…いま、アンタ(わが頭脳のこと)、〇〇なんて思いこもうとしたでしょ、ジョウダン、よしてくださいょ」
てな具合に〝図星〟でいければいいんでしょうが、ねぇ……