-No.1608-
★2018年02月15日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2534日
★ オリンピックTOKYOまで → 890日
◆感覚距離の遠いところ
<イメージ距離>というのがある。
実際の距離・間隔より多く、より遠く感じられる。
感覚距離の開きは、しばしば疎遠感につながる。
感覚距離の遠近は、人によってさまざまである。
同じところが、人によって近かったり、あるいは遠かったりする。
この感覚はまた、人にかぎらず、すべての生物に共通するもののようである。
じぶんでは近いと思ってとる経路が、遠まわりになるっているケースも少なくない。
プロのタクシー・ドライバーが選びとる<近道>ルートが、本人の思いこみにすぎず、じつは、ごくふつうの道すじの方が近いことはよくある。
イメージ距離というのが、経験をかさねる<慣れ>によることが多いのもたしかで。
……………
たとえばボクの場合には、東海道すじの方面が、だんぜん近い。静岡くらいまではごく近所に思われるのだ、が。
他の道すじ、中山道・日光街道・甲州街道・奥州街道の方面は、ずっと遠い。小手をかざして身遥るかす感がある。
<甲州街道>を意識して、ぼくが新宿から京王線の電車に乗ったのは昨年11月下旬。
ひさしぶりに味わう<旅>気分だった。
京王線に乗り換える前に、JR新宿駅南口に立って国道20号(甲州街道)の、途切れることのない人車の往来を眺めやる。
そのとき……
ぼくの脳裡に去来するのは1964(昭和39)年、第18回夏季オリンピックの陸上競技しめくくり、いうまでもない(男子)マラソンの場面(当時のオリンピックには女子マラソンの種目はなかったのでマラソンといえば男子だった)。
アベベ(エチオピア)が史上初の連覇で優勝を飾り、日本の円谷幸吉が陸上初となる銅メダルを獲得した。
いまとは時代が違うといえばそれまでだが、よくまぁ、この道すじをマラソンコースにできたものだと思う。
京王線の急行電車から調布駅で各駅停車に乗り換え、飛田給〔とびたきゅう〕駅で下りる。
この駅は「味の素スタジアム前」、サッカーJ1「FC東京」と「東京ヴェルディ―1969」のホームスタジアムである。
ぼくはファンでもなく、サッカーというスポーツに詳しくもないので、これ以上は知らない。味の素スタジアムで観戦の経験もない。
徒歩5分ほどで甲州街道(国道20号)に出、交差点のすぐ向こう目の前が味の素スタジアムだった。
この日は試合がないらしく、閑散としたスタジアム脇の街道沿いに歩くと…まもなく、
「1964.10.21 オリンピック東京大会 マラソン折返点」
高く掲げられた道路標識に出逢う。
すぐ手前には「日本橋まで26km」ポスト、そして歩道のスタジアム側には記念の石碑まで。
……………
ホ~ッとそこで、長い溜息を吐いたぼく。
脳裡に泛んだのは、オリンピック連覇の偉業を成し遂げたアベベの姿ではなく、銅メダルを手にしながらその後の選手生活に草臥れ果て、ついにはみずからの命を断った円谷幸吉(自衛隊体育学校、当時23歳)選手のことだった。
一般にはあまり知られていないことだ、けれど。
国民の期待を一身に背負い、いちどはみずからも次のメキシコシティ大会での金メダルを誓った彼が、その後は不運つづきで心身のバランスを消耗、なかでも大きったのが信頼するコーチとの間を無慚に裂かれたことだった。
選手にとって指導者との相性、ことにもみずからの個性を尊重してくれる存在であるかどうか。また、心身ともに、ときには檄をとばし、またあるときには周囲の無理解から守ってくれる頼もしい存在であるかどうか…は、選手生命にまで直結する。
円谷幸吉さんに、長距離走選手の素質はあった、が。
その素質は、柔軟性には欠けるものだった。
そのことを大事にされず、ついには理解もされなかったことが彼の人生を奪った。
ぼくは、思う。
「たかがオリンピック」である。
「されどオリンピック」と他人はいうが。
それでも、やっぱり「たかがオリンピック」じゃないか。
ほかの誰にも、ひとりの選手の命を奪う資格なんぞ、ない。
半世紀ぶり、2度目のオリンピック東京大会にあたって、はたしてその課題はクリアされているのか。
ぼくは、そのことを憂い、案ずるものだ。
……………
「武蔵野の森総合スポーツアリーナ」は、味の素スタジアムと道ひとつ挟んですぐ隣りのエリア。
<メイン>と<サブ>2つのアリーナに屋内プールを備える。
周〔ぐるり〕ひと巡りしてみると、なるほど…都市化のなかの森…を印象づけるが、思ったほどの広がりではない。
(それでもメインナリーナの競技スペース約4900平方メートルは都内でも最大の規模という)
これだけの設備をするのに、かかった総整備費はおよそ350億円とか。それにしても、ずいぶん多額なことではある。
桁外れに大きな建築になると、その高は庶民感覚をはるかに超えるから(そんなものか…)で見すごされがちだ、けれど。たとえば〝実用の美〟から遠いデザインなど、無茶な費用の捻出には賢明な歯止めが必要だろう。
メインアリーナでは、オリンピックのバドミントンと近代五種競技のフェンシング、パラリンピックの車椅子バスケットボールが行われることになっている。
バスケのコート4面を確保できるアリーナは、コンサートやイベントでの利用も想定されている、という。
警備員の方に声をかけると、「もうじきお披露目ですから」とのこと。
ちなみに、ぼくが訪れたのは11月20日の月曜日。じつはこの日、「五輪新設会場の第1号」ということで報道陣に初公開された(…が、ぼくには関わりがない)。
警備の方が言った「お披露目」も、この日の記者公開のことではなく、25日に行われるオープニングイベントのことを指していたのだった。
外観からは、屋根に数多くの採光窓らしきものが見とれるだけだったが、内部の天井には三角形の銀色パネルが埋め込まれ、これは「武蔵野に光がふりそそぐ様子をイメージした」とのことだった。
「武蔵野の森総合スポーツプラザ」のある一画をひとめぐりしたぼくは、ふたたび味の素スタジアムへ。
通用門が開いていたので入らせてもらうと、緑のグラウンドでは、フットサルの選手たちが練習に励んでいた。
グッドデザイン賞に輝いた「飛田給」の駅に戻る。
ところで、さて……
「飛田給」とは、ちと異な地名だが。
近くに調布飛行場があるから、飛行用燃料の「給油」に関わる命名かといえば、さにあらず、で。
これは遠い昔、荘園制度さかんだった頃の話しに因むもので、「飛田某」という荘園領主から与えられた「給田」の地の意、という。
そういわれてあらためて見れば、なるほど付近は、平らかな武蔵野風情の地であった。