-No.1551-
★2017年12月20日(水曜日)
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★ オリンピックTOKYOまで → 947日
◆9月11日(月)、出逢えたのは〝北の大地〟の稔りの初秋…
旅の中休みの週末、土日の2日間を札幌にすごして、生気よみがえる。
月曜の朝、気分も新たに<北の国>を走る。
めざすは札幌の北、農村風景ひろがる当別の町。
アマ(亜麻)という草がある。
茎の繊維は大麻より柔らかく丈夫なリンネル(リネン)製品に、種子は搾って「アマニ(亜麻仁)油」になる。どちらも極く上等。
ぼくはいま、α‐リノレン酸をはじめ細胞の活性化と老化をふせぐ不飽和脂肪酸に富むアマニ油を食卓にかかせない者(からだ快調、肌艶にもよく、ここちよい、まさしく潤滑油)だが、亜麻という植物の真実を知らなかった、つまりまだ実物を見ていない。
比較的冷涼な気候を好む草といわれ、日本では北海道のみが栽培の適地とされる。
そのことと、亜麻の織布が大航海時代の帆布やテントにつかわれたイメージとがあわさり、それに亜麻仁油の、あの<亜麻色の髪=金髪ではなく栗毛>の色のなめらかさが沁みて魅惑する。
ついでに付記しておけば、ぼくは戦地(太平洋戦争)から帰った叔父さんの記念の持ちもの、落下傘の帆布で出来たテントを借りて青春前期にキャンプの経験がある。
いまの化学繊維のテントに比べると亜麻の織布に油引きのそれは、ふしぎな安心感をあたえるもので、しかし、背負えばひどく重くて未熟な身体の骨に響いた。
そんな亜麻の織布だけれど、上質のものにはたとえば寒冷紗があり、ランジェリーなどにもなるほどの高級繊維でもある。
亜麻仁油も、用途は食用にかぎらない。
安全・上品な乾性油(空気にふれて乾くと固まる)として、油絵具のバインダーや木製品の仕上げ(オイルフィニッシュワニスなど)にもつかわれる。
ぼくも、揮発性有機化合物(VOC)を放出しないこの亜麻仁油を、木製品の仕上げにかかせない。
その亜麻、いちばんの産地が当別町。
「亜麻まつり」というのが行われていて、ただし、これは油でなくて花を愛でる。
油の亜麻色とはチガって、その花色はスカイブルー。
季節は7月上旬だから、もう間に合わない、けれども。
収穫期は夏もおわる頃、というから。
ぜひ、それを見ておきたい、と思った。
当別町は、札幌市の北郊。
朝のラッシュアワーも混雑の方向とは逆で、難なく到着。
しかし適当に、気の向くままに走りまわっても一向に亜麻らしき(イネとは種類の異なる〝草〟の)畑は見あたらない。
見わたすかぎりの稲田の風景が広がるばかりだった……
そこで、ぼくは不意に。
かつてこの辺りの道をドライブ中に遭遇した、<ジャスト180度の壮大な虹>のことを想い出す。
そう…そのときの舞台設定は初夏。
<通り雨>に追われたぼくは、それを愉しむ、そんな気分にさせる真っ直ぐな道。
すばやく後を追って来た<走り雨>、天井をパンパラ、テケテケ音高く叩かれた…と思ったら疾うに追い抜かれ、呆れてボクは車を停め。
サイドブレーキを引いて、雨脚が駈けて行く方角をしばらく、ぼんやり、眺めていた。
……と。
見る間に、空いっぱいに、これも早い足どりで陽射しがもどってくると、みごとな半円の虹を眼前に展開して魅せた。
オーバー・ザ・レインボー。
山がちな国土の日本の虹は、たいがい片方が山や丘にかかるものだが、このときの虹はまぎれもない<分度器>レベル!
ぼくは、その場を長いこと離れられないでいた……
その辺りを、いまは「学園都市線」と愛称されるJRの線路が走っている。
札幌(正確には、桑園駅)から函館本線と別れて石狩の野を行く。
国鉄時代からあったかつての「札沼線」は、そうして道北、留萌本線の石狩沼田駅まで伸びていた(だから札沼線)のだ、が。
JR北海道に引き継がれて後、ひどい赤字続きで1972(昭和47)年には、新十津川-石狩沼田間が廃止となったため「札沼線」の名が宙に浮いてしまうことになり(後に留萌本線もまた廃止)。
沿線には北海道医療大学(駅は石狩島当別駅のすぐ隣り)ほかの学校があることから、この愛称になったもの。
しかし、とくにもその先、新十津川駅までの間の赤字は深刻きわまりなく。
おそらく遠からぬ将来には、バス路線化の方向にあることは疑いない。
トータル、そんな〝北の大地〟らしいところ。
そのとば口、石狩川を渡ってすぐにあるのが当別町。
……………
亜麻色畑を探しあぐねたボクは。
やむをえず役場に問い合わせ。
「亜麻の畑の見られるところを教えてほしい」
旨を告げると。
電話の向こうでは担当の農務課員が、なにやらブツブツ呟いていたが、間もなく場所と道順を指示してくれて、おしまいにこう付け加えた。
「まだあるかどうかは分かりませんけど…」
「はぁ…ありがとう、とにかく行ってみますから」
めげない体質が、取柄のボク。
気をとりなおして走って、行ってはみたけれども。
やっぱり、亜麻の姿はなし。
なお、さらに、出逢った地元の方に縋る思いで尋ねて、やっと亜麻づくり農家の一軒が判明したのだ、けれども。
「亜麻?…もう、すんだよ」
「すっかり?」
「そう、ぜんぶ、すっかり、すんじゃった」
(遅かった…)
「また来年だね」
ちょこっとだけ気の毒そうな声を背やっぱりに。
ボクは悄然と立ち去るのみ。
……………
なお、温暖化で米どころに昇格した〝北の国〟の稲田の方。
冷夏ぎみで案じられた稔りは、「おかげさまで平年並み」とのことでホッとひと息。
実りは、なにによらず気もちのいいものだ、けれど。
稲の稔りには、ほかの作物にはない、大きな大きな安寧感というものがそなわっている。