-No.1540-
★2017年12月09日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2466日
★ オリンピックTOKYOまで → 958日
◆下北は風の半島
…である。
斗南藩のむかしから、人々は冬の寒気を倍加させるこの風に悩まされてきた。
大きな<まさかり>に譬えられる下北半島。
地域によって、その日本海式気候とされる気候にも差異があるわけで。
〇西通り(陸奥湾岸)は、夏は暑く、冬は雪が多い。
〇北通り(津軽海峡側)は、海峡に卓越する強風のせいで寒いが、降雪も積雪も少ない。
〇東通り(太平洋岸)は、夏は北東からの季節風「やませ」がつよく、山間部では冬の降雪・積雪が多いが、沿岸部では少ない
…というように。
その名も<東通村>には、東北電力と東京電力の東通原発があり。
同じ東通り気候の隣村、<六ケ所村>には大手電力会社でつくる「日本原燃」の核燃料「再処理施設」など関連施設群が集中する。
《11.3.11》から始まったぼくたちの<遍路・巡訪>。
下北の地を見すごしにできなくなった理由のひとつが、コレ。
福島第一原発の爆発事故がなければ、その被害の深刻さここまでのことはなかったのである。
そうして、あらためて気がついてみると。
いくら「安全」と宣伝されても、じつはやっぱり「危険」この上ない原発というのが、いずれも、どこでも、人口少なく過疎で経済的にも自立のむずかしい、はっきりいえば「貧しい」地域に狙いをしぼって立地する。
そんな大都会からは遠隔な地でつくられた原子力の電気が、減衰というリスクを背負って遠路運ばれ、大都会の消費をささえている構図。
<近海マグロの大間>にも、新たな原発建設がすすむ下北という地域も、まさにこの構図の典型といっていい。
そうして…。
訪れはじめて、気がついたのは「ここには風(のエネルギー)があるじゃないか」ということであり、「あるじゃないか風力発電も」であった。
こうして見なおしてみると、じつは、原子力発電と風力発電(ほかの再生・再利用可能=自然由来エネルギーも同じ)とは、似かよった立地環境にある。
ならば、原発依存に見切りをつけ、<風力発電の下北>で再生できないか。
そう思いつづけているボクがある。
このたびは、そこで、いまは<原発銀座>の下北半島の、<風力発電>に焦点を絞ってみようと思った。
それでなくても、報道記者の立場にないボクに、<原発>や<関連施設>見学のチャンスはない。
周辺・近辺の民情・世情から、その真実の一端を探りとるしかないのであった……
六ケ所村には、ちょうど昼どきに到着。
主要道路沿いにある(ほかには…これといった店らしきものも見あたらナイ)コンビニエの店だけが、異様とも言える賑わいを見せていた。もちろん広い駐車場も満杯状態。
役場に行って「風力発電のある所、見やすい所」を尋ねる。
(その役場の一隅にも、ささやかな〝原子力防災倉庫〟がある…)
だいたい「この辺りなら」という場所を教わって実地に探しまわる。
「とても大きな風車」である風力発電施設は、とうぜん町中や人家の近くにはない。
あるのはたいがい、だだっ広い草っ原みたいな所。部外者が近づけないように、林や柵囲いなっていることが多い、とはいえ、逃げ隠れできないデカブツのこと、ズバッとみごとな見晴らしのえられる場所があるはずだ…と思っていたのだ、が。
なにごとも、現実はけっして予断をゆるさぬ。
「ある」ことはたしかに「いっぱいある」のだけれど。
いざ近づこうとすると、容易に近づけない、遠くからしか望めない。
あんなに図体のデッカイやつが、大自然のなかではなんと小粒で、なんと邪魔な夾雑物が多く、なんと絵になりにくいことか!
ちなみに、統計数値で見ておけば、六ケ所村には現在。
3社計77基の風力発電施設で総出力11万5000kwの能力があり、うち二俣風力開発の34基は大容量蓄電池併設。
なにしろ、とどのつまりは。
いいかげんイヤになるほど探しまわって、その挙句。
(だめだ、こりゃ、どうにもならん)
かなりシツコイ性格の男だと、ひそかに自認していた、そのボクが、ついにネをあげた、無念の白旗であった。
こういう場合、ワルあがきをせずに、やり直す、ほかないのであった……
当初、1997年には完成するはずだった再処理工場は延期…延期…を14回も繰り返し、東京ドーム158個分という740万ヘクタールの広大な土地に、これまでの40年間に投入されつづけ、なおさらに増えるであろう総事業費(運営費も含む)は13兆9千億に見なおされた。
(これ、すべて、国民の電気料金で賄われる!)
民間の事業なら、疾うに破綻してしているものが、生きのこっている唯一の理由は、これが国の原子力政策に依拠しているからである、だからヤメるわけにいかない。
この「再処理工場」と関連施設群に現在およそ2700人が働いている、という。
その人たちの、昼休み。
まわりには多くの緑があり、原子力立地の交付金で出来たさまざまのレクリエーション施設もあるのだ、が。
彼らは、みなひとしく、弁当を買いにコンビニまで歩き、また歩いて戻って、事業所内に消えて行く。
心なしか、その姿、若い人も多いにもかかわらず、だれ一人として空を見上げる者とてなく、またしっかり前を見すえるでもなく、ただ、やや視線を俯かせ気味に見える。
耐えている…ようにしか見えない姿が、ぼくの前を避けるように道を行く……