-No.1515-
★2017年11月14日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2441日
★ オリンピックTOKYOまで → 983日
◆9月3日(日)、木工ワークショップをうちあげて…
昼食後。
ワークショップにも参加くださっている越田さんの案内で、大槌町の南へ浜つづきの室浜へ。
浜つづきでも、こちらは釜石市。
小さな浜に面して新築の家が建ち並ぶ。
なかの一軒に、亡くなった佐々木政子さんのお宅がある。
佐々木さんは、少しの間でも新居に住むことができたのが、せめてもの慰め。
現在は東京から帰郷した娘さんが住む。
佐々木さんとは、被災地支援プロジェクト「まごころ花」の手芸サークルが縁。
シュシュや飾り付きヘアゴムなどを、鵜住居(釜石市)の仮設団地でお母さんたちが手づくり、なかでも刺子にいちばん人気があった。
これらの品々を、ぼくらも東京のお祭りなどで代理販売のお手伝い。
<巡礼>の旅でも立ち寄って、新作のうちあわせをしたり、お茶っこしたり。
佐々木さんは、そのグループの技能リーダーでデザイナー。
おまけに天性ほがらかな方で、はじけるように明るい笑いが、まるで苦労を感じさせなかった。
お仏壇に慰霊の、桧の薫る木製フォトフレームをお供えさせていただく。
ガラス押えのないつくりは、ご遺族と自然な息づかいを共有しつづけてほしいから。
写真は、もちろんトレードマークのはじける笑顔……合掌。
……………
こんどの旅は、ほんとうなら、これまでの<遍路・巡礼>からワンステップ先へ。
しっかりとした復興の歩みを見つめる<巡訪>の旅にしたいところだったのだ、けれども。
お二人の方のご不幸があって<巡礼>の旅をつづける、そのことについては出立前にお話しておいた。
……………
亡くなった方、もうお一人は、大槌町安渡の小国兼太郎さん、93歳。
お宅へは前日にうかがって、やはり同じフォトフレームをお供えさせていただいた。
行って見ると、お宅が仮設団地からも近い復興住宅になって、まだ引っ越したばかり。
三陸の大津波を三度も経験して生きのびた兼太郎さんは、
「できることなら復興した町を見とどけたい」
と語っていたのだ、けれども、新しいお家の部屋に腰をおろすこともできずに逝った。
でも。
「兼太郎さんは、幸せな人だったよぉ」
奥方ヤスさんの言うとおりかも知れない。
兼太郎さんも《11.3.11》後は、刺子の技を身につけて生きがいにした。
ぼくは、この人の作品も代理販売させてもらった。
ホテルに戻る道すがら、お宅にヤスさんを再訪。
「いろいろ、あれこれ気づかってもらって、ありがたいけど…あんたたちも、もう若くはないんだから、これからは自分たちのことを考えてちょうだい」
こんなこと言ってくれる人ほかにない……
ぼくの、ぼっさぼさ頭を散髪してくれた「澤とこや」の奥さんも、もとは安渡の人で。
被災後の仮設暮らしではじめて、小国ヤスさんという人を知り(すごい人がいる)と思ったと語っていた。
木工ワークショップの常連さんの一人、土橋綾菜さんも「兼太郎さんの遺影の写真は私が撮ったんです」と誇らしげに言っていた。
それらのことを話すと、
「安渡でわたしを知らない人がいたらモグリだょ」
それなりに歳はとっても、その達者すぎる弁舌、けっしてめげない破顔一笑に、かわりはなかった。