-No.1382-
★2017年07月04日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2308日
★ オリンピック東京まで → 1116日
◆人と地球の未来を考える
「アクアマリン福島」は再訪になる。
最初に訪れたのは、《11.3.11》から丸1年を間近にした2012年2月。
想えば…あの未曽有の震災大津波のひと月後、11年4月11日から始まったぼくらの被災地東北巡礼だった。
その夏8月、福島・宮城・岩手の3県を北上し巡って思い知らされたのは、これは(まったくただごとではない、ひとごとではない)ということだった。
この酷いできごとを教訓に、つぎに備える智慧をもたないとすれば、人類に未来はないだろうと、はっきり、そう思った。
それを伝えていくために、ぼくたちにできることをする、その原点は〝旅する行動力〟。
(それしかない)といってもいい、勁健な心もちをたしかめ、厳冬、雪の会津路に旅をした。
馴れ親しんだカー・ツーリングではなしに、あえて、原点ともうべき鉄道の旅にもとめた。
その旅のしめくくり、最終日の最終目的地がここ「アクアマリン福島」。
まさしく寒風〝吹き荒ぶ〟がごとき日、常磐線の列車が烈風の橋梁区間の手前で一時立ち往生したほどで。
小名浜の駅でバスを待つ寒さに耐えかね、ぼくらはタクシーに助けをもとめて水族館に向かったのだった。
……………
「アクアマリン福島」も、津波の被害を受けた。
無事だった魚や海獣たちを他の水族館に避難させ、できるところから設備を復旧させて再開にこぎつけた。
再開までに手間どるようだと閉館になるおそれもあったかと思われる、とにかく健気な健闘ぶりがたびたびニュースにもなっていた折も折。
再開したばかりの水族館を、ぼくらも主目的は支援の訪問で、そんな親子連れの来館者がほかにも多かったのを想いだす。
再開当時の水族館は、正直に言えば、ゆっくりと展示を鑑賞するというより、ホッと安堵の気分でいっぱい。
実際、スタッフや飼育員さんたちと顔をあわせれば、まずは「ごくろうさま、がんばって」と声をかけた。
(その頃の水族館、屋外の情景が上段、上から2段目右の写真、津波の被害まだそのままになっていた…)
あれから5年。
「海を通して人と地球の未来を考える」環境水族館の方針には、いまもかわりなく、ボランティア・ガイドの充実ぶりやバックヤードツアーほかの多彩なイベントに、多くの力点のそそがれているのが、なにより微笑ましい。
目を瞠るばかりなのは展示施設の進化、それも使えるものは従来の設備を巧みに再生させている。
目線は、つねに子ども優先、それはあたりまえとして、親子・孫子の対話と交流にも、館内・野外をとわず、あれこれ工夫が凝らされている。
いまの水族館はただの見せもの施設ではない、それはどこでもそうなのだが、ここ「アクアマリン福島」の発想と徹底ぶりは〝おみごと〟といっていい。
たとえば、レストランでもなんでもないところ…ふつうの展示水槽がならぶ順路の途中に、ヒョイと手軽な「寿司処」が店を開いていたりする、これなどボクたちは、いままでほかに見たことがない。
……………
そこで、ぼくが思ったのは、いわき市というところがもつ懐の深さであった。
ここも地震大津波の被害に遭いながら、しかし、背後にひろがる地方都市機能と里山のおおきさとで乗り越え、他の沿岸被災地から多くの避難民を受け容れてきた。
この日は、折から週末の土曜日。
「アクアマリンふくしま」の目と鼻の先には、水産物直売の「いわき ら・ら・ミュー」が賑わい。
背後に盛り上がる三崎公園にも、これまた数多の家族連れ、行楽客の訪れがつづいてもいた。
これにはもちろん、原発事故のF1からは距離が南に離れている、という条件もおおきい。
いずれにしても、そのすぐ北隣り、広野町からはじまる原発通りからはクッキリ一線を画する位置にあることは確かだった。