-No.1314-
★2017年04月27日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2240日
★ オリンピック東京まで → 1184日
◆命日は…1月27日
昨年暮れ。
この年、第二次世界大戦の南方戦場から生還した叔父(母の弟)の魂を見送ったわが家は、年始の賀詞欠礼の葉書を送り。
おえて、ふと気になった人がいて、市外局番のあたま02へ電話をかけた。
その人は、7年目を迎えた《11.3.11》東日本大震災の被災地、岩手県大槌町の安渡の浜近く、いまも公営住宅の完成を待って仮設住宅に暮らしており。
お浄土へ身罷った叔父とおなじ、齢90を超えていた。
電話には、いつものことで妻女がでられた。耳が遠くなったその人は、電話にはでない。
かわりに、折にふれ手紙を書いてくださったが、それも歳とともに間遠になってきていた。
「入院しました、肺炎とかで、元気がありません」
気丈な妻女の声にも、いつもの張りがなくて……
身体を温めてもらおうと、病院のベッドでも食べられる懐中汁粉を送って。
ぶじ退院したら、肉でも食べて体に精をつけてもらおうと、思っていた。
寒い冬のあいだは、ぼく自身、耐えて生きる心境、人を元気づけられる気分でもなく。
ようやく早春の風が吹いてからも、なんとはなしに、気おくれがしていた。
毎年のこと、花見の頃、寒気が一気にゆるむと、これまた一気に夏日の気温になったりする。
ようやく次のステップへ…の被災地。
ことしは、5月の雪どけをまって、まず福島県へ巡礼の旅。
その後、宮城・岩手へはまた夏になってからと、心がまえもできてきて。
そんな日、ひさしぶりに、その人の家に電話をかけると。
「亡くなりました」
妻女の沈んだ声に、うちのめされた。
こういうことが一、度ならずあった、ぼくだった。
想いおよぶことを、避けたい気もちを、くりかえす。
吾ながら、ただ、情けなかった。
心根のやさしい元漁師は、ガーゼの布に刺繍糸の刺し子、手芸に熱中することで気もちの張りを支え。
「できれば復興した故郷を、もういちどこの目で見ておきたい」
そう述懐していたのだのだけれど……
三陸岩手の浜に生き、こんどの大津波で生涯3度の”海嘯”を切り抜けてきた命が、ひとつ、逝った。
宅急便の荷物は、肉から香華にかわって。
ひとあしさきに、春まだあさい〈みちのく〉へ旅立って行った。