-No.1261-
★2017年03月05日(日曜日)
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◆『琵琶湖周航の歌』
…といえば加藤登紀子、”とっこちゃん”の唄。
たしか70年代の初めころに大ヒットしたが、ボニージャックスもペギー葉山も唄っていた。
ぼくも、この歌が好きで、「旅にしあれば しみじみと…」ひとり水面を見つめていたりすると、ふと口をついてでた。
ただ、ぼくにはこの唄、滋賀県のご当地ソングなんていうより、もっと遥かな、エキゾチックなイメージをもっていた。
おなじ加藤登紀子の唄なら『知床旅情』のほうがだんぜん故郷ムードふつふつで、その意味ではむしろ森繁久彌節こそピッタリといえた。
「われはうみ〔・・〕のこ」で始まる唄には、もうひとつ小学校唱歌があって、あちらは「海」、こちらは「湖」。湘南の海に親しんできた身には、やはり「うみ」は「海」が自然であり、長じて実際に琵琶湖の岸に佇むまでは「湖〔うみ〕」の想いにいたれなかったことが思いだされる。
この曲が、琵琶湖に面する滋賀県の大津市では、〈残業削減〉のための「終業の歌」になっているという話を聞いて(へぇ)と思った。
夕刻せまるころ役場内に流されている、というのだが。ぼくなんぞには、もっと奥深い想念にひきこまれそうな気がしてならない。
つまり、このメロディーを聞くと、地元の人はたいがい「帰りたくなる」というのだけれど……
ぼくだったら、それだけではすまされない、それこそ「旅にしあれば」で、翌くる朝の出勤もおぼつかなくなる気がする。
あるいは、また、仕事といってもそれが天職であるなら、口をついてでる歌詞は「帰ろかなぁ、帰るのよそうかな」ではなかろうか、と思ったりもする。
それが琵琶湖畔の大津市では。
多くの人が、子どものころ母親が手仕事しながら口ずさむ『琵琶湖周航の歌』を聞いて育ち、いまもたとえば宴会を〆るときの曲になっている、という。
なるほど、郷愁を誘われる曲にはちがいない。
さらに地元の小学校では、琵琶湖でおこなわれる船上合宿の打ち上げに歌われる、とも聞いた。
それはそうだろう。
もともとがこの唄、むかしの第三高等学校(いまの京都大学)漕艇部に属したらしい作詞者が周航中の一夜、想をえたものといわれ、いうまでもない三高の寮歌・学生歌だったのだから。
それにしても、青春の日の慕情の唄が、いまは終業の唄というのには、ある種、諸行無常の感が漂わなくもない。