-No.1249-
★2017年02月21日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2175日
★ オリンピック東京まで → 1249日
◆キミはうしろ、ボクまえのほう
高校の同期会があった。
場所は神田司町、地下鉄淡路町の駅から近い居酒屋「みますや」で、この店の主も同期生。
いまは「都内最古の老舗居酒屋」として人気がある。
こんどの集まりには、土佐高知から上京したSくんと連れだって行ったのだが。
店の格子戸の前には順番待ちの客の姿があって、あいかわらずの繁盛、まずはめでたい。
毎度、30人ちかい同期生が集まる。
齢70を超え、しぜん話題は病い系とお薬系に傾く。
学生時分からの仲好しが寄さる、いっぽうで、「アレ誰だっけ」という存在があったりもする。
なにげない世間話をしながら探りをいれ、ひょんなことから(あぁ)と思いあたることもあれば、苦労の甲斐なく詮索はまた次会にもちこしになることもある。
ぼくにも、もう5~6年も(誰だっけ)状態の、いまさら姓名を尋ねることもできない同期生が複数、存在する。
よくしたもので、この思いはみな同じと見え、こっそり情報交換することでめでたく解明にいたることもあったりする。
ボクという人間は、そもそもが得手勝手なのだろうか、どうも人の名がなかなか覚えられない。
なにかしら印象にのこれば覚えて忘れないのだが、世の中そんな人ばかりじゃない。わっかってはいるが。
Sくんは、ボクなんかより人の名の覚えがよい、とボクは思っていたので。
さりげなく、久闊を叙してテーブルをまわるSくんを目で追っていたのだけれど。
どうも、その顔つき、話しぶり、仕草や態度からは、ボクのとまどいに似たものが察せられ。
会合の後で尋ねたら、やっぱり「アレ誰だっけ」が少なからずあったらしい。
また、それとは別に親疎のこともあり。
噺を聞くと、「彼は小さい方だったからね」親しくしていたけれど、「〇〇くんは大きかったから」ほとんど付き合いがなかったという。
Sくんは小柄であり、ボクは大柄な方だった。
大きいボクと、小さい彼とが親しくなれたのは「クラブ活動」がきっかけだという。
つまり、学校では教室での席順が友だち付き合いに大きなウェートを占めており。
前の(小柄な)方の連中はそのなかで、後ろの(大柄な)連中はそっちの方で、親しい交わりになることが多いのではないか、と。
もちろん、この両者の間には平均的な中間層もあるわけだ。
な~るほど、そういうこともあるかな。
ボクはその方面に頓着しない性質だったから気がつかなかったけれど……
よくよく想い返してみると、たしかにボクの場合、大柄な人との付き合いがやはり多いようなのであり。
小柄な人に対してはつい、その方の意識が勝ってしまうようでもあるのだった。
気づくということには人間、死ぬまでおわりがないと見える。
するとこれは、はたしていいことか、それともよくないことなのか。
ボクはふと、万が一、じぶんの認知症に気づいたときの絶望を想った……