-No.1242-
★2017年02月14日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2168日
★ オリンピック東京まで → 1256日
◆ドキッとした
…と言っておこう。
(ほんとのところはチクと抓られたような)
近ごろ、若者のあいだに顕著な〈文章法の乱れ〉が指摘されている。
これも社会学研究の一端だろうか、世の中のことを細々とよく見ている人がいるものだ。
文章に段落がなく、またあっても、改行のはじめの一字あけ(下げ)がない、という。
ぼくも、こうして文章を書くときには、たとえ電子メディアであっても基本の文章法を守っている……のだが。
電子メールを〈打つ〉ときには、この基本がつい、おろそかになる、つまり一字下げを端折ることが多い。
携帯などでは、空白の入力が面倒なこともあるが。
はじめから、メールのやりとりなど文章だと思っていないフシも、正直いってある。
ま、はっきりいってマニアワセ。
だいじな事柄は、手紙など文章で伝える。
したがって。
やむをえず、手紙にかえてメールを打つときには、面倒でも文頭に一字分の空白を入れ、改行にも気をくばる。
しかし、それもだんだんに、海辺の砂山が波に消し去られていくように、アヤシくなってきているのを、ぼく自身も感じている。
いまどきの若者たちは、また、文頭の一字下げにかわる手段として、一行あけを多用する、ともいう。
このことについては、ボクも同断である。
じつのところ、時代は確実に〈文章ばなれ〉の方向にあるのだから。
ものを書く人には、世に迎合するのではなしに、伝える術のくふうが求められている、と思っている。
この一行あけについては、お気づきのとおり、このブログでもずっと試行をつづけており。
電子メディアの分野では、有効なことがワカッテきている。
いまは、一般むけの文章法として、どうなのか、を問いかけているところ……
ほんとのところ、ボクにとっても、ときに文章がメンドウなものに思われることがあるのデス。