-No.1228-
★2017年01月31日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2154日
★ オリンピック東京まで → 1270日
◆ロマンスカー
かみさんと町田から新宿へ。
小田急線の特急ロマンスカーに乗る。全席指定の予約制。
町田駅がその停車駅で、わざわざ乗り換えの面倒もないから利用しやすいこともあり。
毎日のことではない、所用があって「おでかけ」だからでもある。
急ぎでもない、が、特急だから早い。新宿まで30分。
運行される本数もかなり多く、帰路の通勤用には「ホームウェイ」号も運転される。
とうぜん、利用する人も少なくないわけだが。
ウィークデーなら特別な日でないかぎり、当日、ホームの自動販売機で気軽に席を確保できる。
月に一度、カルチャーセンター「木工教室」講師の仕事があり、往きには手荷物が大きくなることもあって、ロマンスカーを利用するようになり、そのうち定番になった。
はじめは往きだけだったのが、帰りにも乗るクセがついたのは、「本日じぶんへのご褒美」にビールを一杯たのしめるから。
正月2日、箱根駅伝往路の観戦に芦ノ湖畔へ出向くことが恒例になって、これももちろんロマンスカー。
ほかのときでも、気がつくとロマンスカーの人…ということが多く、とくにTOKYOで呑んだ帰りはほとんどロマンスカー。
こうして日常的になっていたことが、吾ながらふとオカシかった。
多摩川の鉄橋を渡っているときに、連想が川を下った。
河口に近い六郷のあたりをJRの線路が渡っている。
◆グリーン車
JRがまだ国鉄の頃。
ぼくが、川崎の家から川向こうへと渡って東京の私学へ、中学・高校と通った時代。
普通車にも1等・2等の区別があった。たしか1等の運賃は2等の2倍、高かった。
「区別」はつまり「差別」だなと、子どもごころに感じさせられた、おもな理由は横須賀線にあった。
その頃、ふだん通学に利用するのは京浜東北線だったが、川崎駅には東海道線と横須賀線の電車も停車した。
東海道線の電車はオレンジとグリーンのツートンカラーで「湘南」の海とリゾートを想わせ、横須賀線はブルーとクリームのツートンカラーでシックな高級感をアピールしていた。軍港横須賀にいたる途中には鎌倉、逗子の高級住宅地区もあった。
1等車の乗客はアメリカの軍人さんか、日本人なら高級官僚かエリート実業家、つまりお金持ちクラスとそのとりまき。
ときたま横須賀線に乗り、思いきって1等車の通路を通ってみると、葉巻や香水の匂いに圧倒されたものだった。
1等座席車が「グリーン車」になったのが、たしか1969(昭和44)のことだった。
四つ葉のクローバーのマークの、もじどおりグリーンカー。
ゆったり(占有面積ひろく)と、上等のリクライニングシート。
そこに「高級感」より「差別感」を嗅ぎとっていたぼくには、正直「忌避感」さえあって。
でも、好奇心に駆られて……
横須賀線のグリーン車、指定席に腰をおろしたことがある、けれどもイケナイ、どうにも落ち着けなかった覚えがある。
◆どうしたことか
そのボクが……
ロマンスカー、いってみればグリーン車に、いまはいつもように乗っているのは、どうしたことか。
町田-新宿間は31キロ、運賃370円+特急料金410円。安くはない、が、贅沢にも思わない。
その日、家に帰って調べてみた。
小田急線の町田-新宿とおなじくらいの距離というと、JRでは横浜-東京(28.8キロ)か。
この間、現在の運賃500円+グリーン料金770円(普通列車50キロまで)。
いずれにしても、普通車の2倍以上。
それらが、ごくふつうの人にふつうのこと、になっている。
さらに、ちょっと遠方まで出かけるとなれば、特急・急行などを利用するほかなく、すべて別途料金が必要になる。
世の中がそういう仕組みにって、だれもが、それをふつうに思うようになったわけだ。
じぶんたちのひと昔まえを振り返って、発展途上国のいまを思いやれる人は少ないわけだ。