-No.1194-
★2016年12月28日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2120日
★ オリンピック東京まで → 1304日
◆11月11日(金)、朝焼け
5時半起床。朝焼け。
今朝も穏やか、バッチリ晴れ。
シジュウカラが、裏の木の枝に来て遊ぶ。
《11.3.11》東日本大震災・大津波から5年と8ヶ月。
東北の沿岸被災地には、このような、なにげない”日常”がまだ戻っていない…ことを想う。
故郷から他所の地へ、〈移住〉にふみきり立ち去った人も数多いことを、あらためて想う。
〈移住〉には、まぎれもなく、そのような側面がある。
棲みなれたら、他所には移りたくない、のが人情だ。
それを越えて、自身の居どころ移す決心は、英傑のふんぎりにも劣らない。
まだぼくたち、支援のボランティア、巡礼行脚はおえられそうにない。
◆然別湖(鹿追町)
ぼくは、鹿追の地にも3度ほど足跡がある。
最初は1972(昭和45)年初夏。
先日12月20日の記事でもふれた「片道最長切符」の旅、最終日ゴール(広線広尾駅)目前の午前中。
最後の寄り道乗車、士幌線の糠平駅に降り、バスで幌鹿峠を越え、然別湖に遊んだ。
大自然の素っ気なさに感慨ふかいものがあった……
2度目は、それから10年ほどのちの初冬に、やはり然別湖を訪れている。
そうして3度目が、秘湯の旅で然別峡菅野温泉へ。
いまの鹿追町は、グリーンツーリズム、アウトドア体験の町。
冬は然別湖に、雪と氷の「しかりべつコタン」が出現する酷寒イベントで知られ。
近ごろは「札幌雪まつり」の流れで訪れる観光客が多いのだという…が。
寒がりのボクは未体験だし、夏でもヒンヤリ風の冷たい然別湖の印象がジャマをする。
それでも。
よほど、その佇まいが気になるものとみえて、ぼくはやっぱり然別湖へ。
上士幌側、糠平から入る道は、今年すでに冬季閉鎖になっており。
ぼくらは雪の十勝平原を迂回して、鹿追の町からアイスバーンの道を行く。
途中、振り返ると、鹿追の町。
富山平野の、有名な「散居村」を想わせる風景ながら、規模がちがって、こちら十勝の場合は「散ら散ら村」。
扇ヶ原展望台からは雪の日高山脈。
白樺峠の池は、もう完璧に結氷しており。
峠を越えると、いやでも足はアクセルから離れてブレーキの方へソロリ。
ここで新聞の三面記事になるわけには、いかない。
然別湖畔の景は、何十年も前のことがまるでつい昨日のように、かわることない(上2枚の写真)大自然の懐にあって。
細波ひとつない湖面は、年寄りが囲炉裏のそばで居眠りかけているかのようでもあった……
けれど、じつはこの湖、ミヤベイワナと呼ぶオショロコマの亜種で知られる。
それは、川が火山の噴火により堰き止められた然別湖の成因によるもの。
したがってミヤベイワナは、この湖にのみ生息する。
◆十勝清水…台風10号禍
鹿追の町に下りて、国道274号を南西へ。
十勝清水を目指す。
日勝峠越えの国道274号は、狩勝峠越えの国道38号とともに、道央と十勝・釧路圏を結ぶ大動脈。
その274号が、この夏の台風10号の暴風雨に見舞われ、根室本線とともに大きな被害を被ったことは記憶に新しい。
”自然災害列島”日本の旅人であるボクは、その現実を避けては通れない。
道東自動車道の十勝清水インターをすぎ、日勝峠への上りにかかるあたりで、災害復旧の現場に出逢う。
そこは十勝川の支流、ペケレベツ川の畔で。
大きく抉り取られた岸の、建物のいくつかが壊されて傾き、桁を流失した橋は、渡れなくなって久しかった。
河川科学の専門家によると、急流の少ない北海道の河川は、山から流出した土砂が途中で川床に堆積しやすく(つまり海までは運ばれて行かずに)、豪雨などあれば氾濫しやすい特徴がある…と。
一般にはたしか、「日本の河川は急流ゆえに氾濫をくりかえす」と教えられていたと思うのだが……
どうも、森羅万象に四季折々があるごとく、日本の自然は一筋縄ではいかない、ということらしく。
はがゆいようだけれども、ひとつひとつのことに我慢づよく、対処していくしかないのだろう。
こののち、12月22日になって、根室本線はようやく4ヶ月ぶりに復旧。特急「スーパーおおぞら」(札幌―釧路)と、特急「スーパーとかち」(札幌―帯広)は運行再開されたけれど。
国道274号日勝峠付近は、道路崩落や落橋など60ヶ所以上が被災して、まさにズタズタ状態。氷雪の時季を迎えて、本格的な復旧工事着手は来春になる見通し(現在はそれにむけての調査中)といわれ、通行再開時期の目途はたっていない……
ぼくたちは帰途、芽室町まで十勝川水系の川床の状況と被害の実態を確かめ。
(これらの事情は上士幌町でも同じ、川水が溢れ橋が壊され…)
おそらくは地球上に自然災害と無縁の地などありえない、思いをつよくするほかなかった。