-No.1167-
★2016年12月01日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2093日
★ オリンピック東京まで → 1331日
*12月になった、ことしは冬の寒気のおとずれが早いようだ、被災地東北沿岸、大槌町の仮設にいまも暮らす老夫婦からも「やぁ、キビシいな」嘆きの声がもれる。この家族が望む災害復興住宅の完成は、やっと来年中の予定だ……*
◆9月5日、午後
北山崎の断崖クルーズのあと。
田野畑村にもできたという復興住宅団地を訪ねる。
集団移転の場所はもちろん高台、三陸鉄道・北リアス線「島越」駅のお隣り、「田野畑」駅の近くにあった。
(「カルボナード島越」駅に対して、こちらの愛称は宮沢賢治『銀河鉄道の夜』にちなんで「カンパネルラ田野畑」、愛らしい田舎の小駅)
その新興住宅地(まさしくそんな佇まい…)は、周囲の民家のありようとはまったく異なるので、すぐにわかった。
やわらかい曲線を描く道に沿って、コンパクトな敷地に建つ〈文化住宅〉。
かぎられた予算のことがあり、完成をいそいだ事情もあるだろうから、やむをえない。
やむをえない…けれども、違和感はぬぐえない。
この復興住宅地が周囲の風景にとけこむのには、かなりの時が必要なのではないかと思われた……
この日の宿りは、小さな羅賀の港に建つホテル羅賀荘。
10階建ての元国民宿舎は、《11.3.11》の津波に洗われながらのこった。
怖いほど間近に潮騒を聞く、上階の部屋からは北山崎の海遥々……
夏休みをおえた宿には、復興工事関係の泊まり客が多かった。
翌6日(10日目)、宿の部屋から眺める北山崎の海は、朝靄に朝焼けの景。
さらに北を目指す。
ここも田野畑村内、明戸の浜にも高い防潮堤。
きのう海上から見たコンクリート壁の連なりに、ふと(これは現代の”鎖国”ではあるまいか)白昼夢のような思いがよぎったのを想いだす……