-No.1165-
★2016年11月29日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2091日
★ オリンピック東京まで → 1333日
*キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長の死(25日)。超大国アメリカのお膝元での反米革命成功に愕然。風土、文化、民族、価値観、エネルギー…あらゆるものすべてが違うことを思い知らされた、学生時代を想いだす。そして、いま、彼に対する評価が、「反米の闘志・国家功労者」と反面「独裁者」とに別れることに、とうぜんそうだろうとは思いつつも、なぜだろう、ツ…と気もちに動揺を誘われるものがある*
◆9月5日、宮古市から田野畑村へ
「三陸ジオパーク」というのがある。
北は青森県八戸市から、南は宮城県気仙沼市まで、岩手県を軸とする3県16市町村にまたがる広大なエリアの”大地の公園”。
ユネスコでいう”地質遺産”で、三陸の場合は古生代カンブリア紀から現代まで5億年にわたる地質、地形、自然、歴史、文化(津波被災遺構をも含む)となる。
2013年9月に日本ジオパークに認定された。
この「三陸ジオパーク」の主なジオポイントをつないで走るのが三陸鉄道(北リアス線=久慈-宮古、南リアス線=釜石-盛)。現在、休止中のJR山田線(宮古-釜石)が三鉄路線として開通すれば、そのまま”三陸ジオパーク線”と呼んでもいいくらいなのだが…。
そのなかでも綺羅星のひとつが田野畑村の島越〔しまのこし〕駅。
被災前も三鉄駅舎のなかで人気が高かった島越駅は、宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』にちなんで「カルボナード島越駅」と愛称された。
親しまれた南欧風のその駅舎建物は、《11.3.11》の津波で高架橋の鉄路もろとも潰滅したが、そこにあった賢治の詩碑は奇跡的に流失をまぬがれてのこった。
そのへんの事情は、このブログにも既報のとおり。
(-No.0223-2014年5月2日記事「よくぞ蘇った「さんてつ」との出逢い」http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=12921228815723039342)
「カルボナード島越駅」の新駅舎はできて、営業を始めていたけれど……
どこもかしこも〈できたて〉の、生コンのにおいがのこる一帯は、まだまるで〈借りてきた猫〉みたい。
宮沢賢治が1925年、三陸を旅したときの光景を綴った詩『発動機船』の詩碑(1997年田野畑村建立)も、居どころ定まらず線路わきに仮置きのまま。
ただ、詩碑の傷みは見たところ致命的ではなく、ところどころ欠けたなかから鉄筋が顔をだしているあたり、
「どっこい生きとるがぁ~、健在じゃぁ~」
雄叫ぶかに見えて、むしろなによりの「奇跡の顕現」にも思える。
お役所好みの下手な修復(あるいは安手な再建)などこころみるくらいなら、のこされたそのままを遺構に保存してほしいものだ……